上和下睦 夫唱婦随
(半切1/2大)
久しぶりに、松本芳翠先生の草書千字文にチャレンジします。
筆は練習を始めた羊毛筆(中筆)です。
羊毛筆では“掠れ(かすれ)”が多用されるとのことで、
敢えて左側は渇筆で書きました。今回はその初作業です。
墨(水)が潤沢でも筆先のコントロールに苦労する羊毛筆、
今回は、墨を少なくして、掠れが出るように書きましたが、
毛先がバラバラになりがちで、容易ではありませんでした。
ところが、Youtube で羊毛筆を使って掠れを出すデモをみていると、
どうやら、自分が書いた掠れは、本格的な掠れの書き方とは違うようです。
デモでは墨をたっぷりつけたまま掠れを出しているのです。
掠れの巾も、広狭自在という感じでした。
墨が少なくなって仕方なく掠れを出す、という受け身の掠れではなく、
もっと能動的に墨をたっぷりつけて掠れや割れを出す・・・
そういう特別な筆があるのか(どうもあるようです)、
そういう特別な技法があるのか(間違いなくあるようです)、
・・・今の自分には、羊毛筆よ、道遠しであります。
後段部分、我が家ではとっくに「婦唱夫随」に逆転、
これが当たり前の生活になっております。
ところで、文中の「上和下睦」なる成句で、一寸気になることが。
私が[千字文]の存在を知り、書道の練習を始めたのが2年半ほど前、
ほどなくこの千字文に上掲の「上和下睦」が「夫唱婦随」ともどもあることを知りました。
いずれ書いてみようと温めていました。
更にややあって、全く別の資料で、聖徳太子の[十七条憲法]を読んでいましたら、
恥ずかしながら、ここにも「上和下睦」なる文言があることを知りました。
しかも、あの第1条「以和爲貴」(和をもって貴しとなす)の、
後半部分に出てくるのです。(註1参照)
たまたま自分が接した、日中二つの文献の中で、
同じ熟語が出てきたのに気付いた、というだけのことではありますが、
ともに歴史的文献なるがゆえに、何やら嬉しくなりました。
と同時に、ちょっぴり気にかかることもありました。
成立年代から見て、十七条憲法が出来たのが西暦604年、
千字文はそれより100年近くも前のことですから、
十七条憲法の方が何らかの影響は受けたかもしれません。
いや、受けていないかもしれません。
また、影響を受けたとしても
「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々」
との国書を送り、
当時の隋帝を怒らせたともされる聖徳太子のこと、
何らかのご意図があられたのかもしれません。
・・・そんなこんなが頭をかすめましたが、むろん、自分などに分かるはずもなく、
突っ込んだところで、詮無いことと気づくのであります・・・。
ともに4字の成句の集合体である、この両者の関係につき、
あるブロガーさん(「有限会社 未来樹 MiRaIJu」(裸の王様)様)のお調べでは、
千字文と十七条憲法の、双方に共通してある4字の成句は、
この「上和下睦」のみだそうです。
いやはや世の中には、こういうことを研究なさる凄い方がおられるものです。
折角、[十七条憲法]に触れましたので、
十七条憲法における『論(あげつら)う』(議論する)について、
ねずさん、こと小名木善行氏のご所論(著作やブログ等)を紹介させていただきます。(註2)
氏によれば、
まず第1条は、単に「和を以って貴しとなし」のところだけでなく、
文意からは、後半にある「論(あげつら)う」、即ち議論を重ねることの重要性
が強調されているところがポイントであると。
また最後の第17条では、二度もこの「論う」が用いられており、
最初と最後の条文に出てくる『論う』ことの重要性を説かれています。
・・・さてさて1400年後の日本の国会、
国会議員(野党)ともあろう人達が、
国の大事である憲法は論(あげつら)うどころか、ただひたすら逃げてばかり・・・。
世界は、コロナ対応だけでなく、米中覇権争いの真っ只中!
[註1]
「十七条憲法第1条」(日本書紀記載)
一曰、以和爲貴、無忤爲宗。人皆有黨。亦少達者。以是、或不順君父。乍違于隣里。
然上和下睦、諧於論事、則事理自通。何事不成。
[註2]
「十七条憲法読み下し文」(第1条、第17条)
(ねずさん、こと小名木善行氏による)
第1条
一にいわく。和を以って貴しとなし、忤(さから)うこと無きを宗とせよ。人みな党(なかま)あり、また通(さと)れるもの少なし。
ここをもって、あるいは君父に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。
しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、
すなわち事理(じり)おのずから通ず。何事か成(な)らざらん。
第17条
十七にいわく。それ事(こと)は独(ひと)りで断(さだ)むべからず。
必ず衆(もろもろ)とともによろしく論(あげつら)うべし。
必ず衆(もろもろ)とともによろしく論(あげつら)うべし。
少事はこれ軽し。必ずしも衆とすべからず。
ただ大事を論(あげつら)うに逮(およ)びては、もしは失(あやまち)あらんことを疑う。
故に、衆とともに相弁(わきま)うるときは、辞(ことば)すなわち理(ことわり)を得ん。
その後再度作品を拝見し、一文字一文字の重さが最初と全く変わりました。
探求する・深めると言うことは、こう言うことなんだろうと思いながら・・・
「聖徳太子十七条の憲法」も、ほんのさわり部分の浅い知識でしたが、深いんですね。賢くなりました。
夫唱婦随などわが周囲では死語に近いと思っていましたが、にわか知識の蘊蓄を語れば、頷くくらいはしてくれましょうか?
それにしても、難しいと聞いている羊毛筆、使いこなしておられますね。