白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ
(若山牧水短歌)(半切大)
羊毛筆(中筆)を使っての練習です。
今回は漢字よりも仮名が多い歌を選びました。
それも原歌の漢字と普通の仮名(万葉仮名などではない)をそのまま使いました。
長くて柔らかい羊毛筆で仮名を書くのは、曲線部分が多いなど、なかなか思うようにはいきません。
でも、ふくよかさとか味わいある掠(かす)れを求めて
これからも練習を重ねたいと思います。
そんな中、書の“道”としては如何なものかと思いながらも、
ちょっぴりではありますが、素人なりに、次のことを配慮しました。
まず本歌の色の対照をなす「白」と「青」。
「青」を左上に配し直接対比する案もありますが、
歌意の流れから1行目の上下端のままとし、
この2文字それぞれを潤・柔と渇・剛を意識しながら書きました。
また、本歌の“想い”の部分「かなしからずや」を、
かなしそうな、“らしき字形”で書いたり、
「ただよふ」の“よふ”を、ふわあーっと書いて右下の角張った字と呼応させたり、
・・・してみました。
ところで、この短歌、中学の教科書にも出ている若山牧水の代表作です。
青と白の対比が鮮やかで、ふと、絵にしたらどういう絵になるか、と思いました。
それが、何となくの、ぼんやりしたものはあるものの、
具体的な情景としては浮かびません。
歌心がないからこんな有名な歌のイメージすらできないのか、
と恥じ入りつつもネットで調べてみました。
「白鳥」、今は“しらとり”と読むようですが、
最初この歌を出したときは“はくてふ”と読ませていたとか。
鷗なのか白鳥なのか、それも一羽なのか数羽なのか・・・?。
「かなしからずや」・・・“かなしくないだろうか、いやかなしいはずだ”までは解りますが
その「かなし」は、“悲し”、“哀し”、それに“愛し”まであり、そのどれだろうか・・・?。
「ただよう」の漂っているのは空なのか海なのか・・・?。
そもそもこの歌、孤高や孤独の歌なのか、恋の歌なのか、自然の情景の歌なのか・・・?等々
調べてはみたものの、結局、解釈にはいろいろあることが分かりました。
著名な歌人の方もそれぞれに解釈されているようです。
絵としても描きにくいというか、各自が想像力を働かせて、ということのようでした。
まあ、歌の解釈というのはそういうものなのでしょう。
その後説明を読み、「白と青」「かなし」はそのように思い、書かれたのだと納得。
しかしながら、それを踏まえながら他の字を追ってみましたが、どれも流石見事とこれまた納得。
私には筆の違いは分かりませんが、扱いが難しいだけに味わいがあるのだろうと思います。
歌の解釈には、またまた思考の幅の広さ、柔軟さに脱帽。
深く考えないで「哀愁漂う孤独感・寂寥感のある歌」としか感じていなかったのですが、いろいろな解釈があるのですね、参考になりました。
羊毛筆で書かれた味のある署とともに一味深まったこの歌、心の引き出しに収めます。