クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

倉渕の道祖神巡り(1) H-22- 3- 5

2010-03-05 22:03:33 | 双神道祖神・磨崖仏・道しるべ
啓蟄は明日なのに気温予想24℃の触れ込み、これなら5月の陽気だ。
そこで道祖神の宝庫と云われる倉渕の西地区探訪。
R-29からR-406に乗り換えて合併で広がった高崎を西進。

(1)水有の道祖神



小栗上野介の菩提寺・東善寺の手前細道を右折して急坂を登る。
道の左側は防災壁で固められているが、工事の時に設置し直しを
された様な位置に二基の道祖神。



左のは祝言形だが如何にも浮かない顔つき。



右は合掌形だか左とは彫り方が違う感じ。



(2)押平の道祖神



道をそのまま進むと数百㍍先で舗装が切れて悪路。右の杉林に馬頭観音や
庚申塔などの石物群。



更に進んでもう車は無理かなと思うところにポツンと一体。



(3)花輪・下の道祖神



一旦R-406に降りてからバス停「火の見下」から右山手への同様に
細い道へ。短い距離で左側に一体がひっそりと。



(4)花輪・上の道祖神



下の道祖神から僅かに登ると土手上に庚申と一緒に二体。



珍しい坐像が一体。



もう一つは肩組み形だが、笑っている様な顔つき。だが良く見ると
二人の間に宝剣の添え彫りらしいものがある。



(5)鉄火(てっぴ)の道祖神




更に登っていくと三叉路で小屋風な所の脇に馬頭らしいが変ったデザイン
のものを挟んで二体。



直ぐそばに「みちしるべ」。「右榛名山へ約三里 左上久保道」



(6)東善寺の小栗墓所



ここまで来たら東善寺に寄る。「罪無くして斬らる」と云われるように
余りの峻烈さ故に薩長から倒幕の邪魔者と眼の敵にされ、変わり身早く
薩長に擦り寄って身の保全を図った勝海舟の陰謀に謀られ、公金横領と
いう全くのでっち上げ事件の主犯とされて一族根絶やしの憂き目にあつた
俊英。境内に小栗像。



其の脇にあるのは供養塔。



墓はそこから168段の石段で山上に登ったところにある。



(7)上の久保の道祖神



寺の駐車場から50m先で右折の山道。三叉路の角に二基。
左は大分崩れているが、右は祝言形。村の長者の祝言と言われている。



(8)群バス車庫裏の道祖神

西進して権田信号を吾妻方面に進んで群バス車庫手前の道を
僅かに登った土手上に元禄六年と読める座像一体。



次ページに続く

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