高崎・新町の「雛祭り」も終盤に来たので家族連れで一寸覗きに
行って見た。この祭りは何か由緒があるとか、古くからの慣わしという類ではない。
今年で五回目、家庭で飾らなくなったひな人形を集め町内の施設や店舗に飾る類で
三月三日まで。町興し?
町内約60カ所に約100基のひな飾りが飾り付けられ、江戸時代
末期から昭和、現代のそれぞれの時代の趣向や流行がうかがえるー
との触れ込み。
高崎との合併時、人 . . . 本文を読む
四月並み気温との予報を聞いて爺イはのこのこと甘楽の里山巡りに
這い出すことにした。春一番を伴っていることがチョイ不安だが。
目的は延び延びになっていた「古い亀穴峠道」を地形図の破線通りに
しっかりと確認することだ。
破線の位置に行くのには幾通りもあるが、今日は始めてのルート。
甘楽町・上鳥屋の天引森林公園園地から一旦北に廻って三角点・天引
484.8mのある南北稜線に登り上げ三角点にタッチ . . . 本文を読む
長閑な日和、午後から一寸散歩に榛東村まで。
今月の初めに探索が中途半端に終わっている榛東・吾妻神社跡の
第二弾だ。
前回同様に水沢・足門線の霞山C.C入り口看板のある四つ角に
路傍駐車。参道に入る前にこれも引っかかっている榛東・南十二社
の探索。ゴルフ場への軽い傾斜の舗装路を西へ。
ごく簡単と思ったら何と約1Kも歩かされ、ゴルフ場の生垣の
切れ目で発見。S-61年建設の「十二大権現」となって . . . 本文を読む
今年の大河ドラマの主役たち、浅井三姉妹の事を色々と詮索して
いたら某資料の末尾に自決した筈の淀殿についてこんなもの。
「薩摩に落ち延びた説と秋元長朝に助けられ、長朝の領地上野国
総社に落ち延びた説がある。秋元家の菩提寺・元景寺(現前橋市)に
彼女のものといわれる石塔がある」と。
永年高崎に住み、伝承好きと自認する爺イの戦国時代の興味はどうしても
仁政で名高い箕輪(今は高崎市)の長野勢、西上州へ . . . 本文を読む
2/6の日曜日は快晴予報にも拘わらず、朝から完全な曇天で
すっかり騙され、懸案だった吉井・大判寺の史跡探索で
お茶を濁してしまったので今日こそは予定の小梨山周回。
ルートは小梨橋から関東ふれ合いの道の峠道で小梨峠という
標準路を避けて吉井の東南端・大沢集落から林道を使っての
北ルート。昨年二月に辿った尾根拾いを良く記憶するための再確認。
R-71で南進、神社先の落合橋(工事中)手前、この道標で左折 . . . 本文を読む
ここから南は藤岡市。
西南から来てる稜線は小梨峠から東進の標準路。
小梨山へは東南の道、出だしから倒木・蔓多数。右側は藤岡、
左は高崎に編入された吉井。
ずっと先まで蔓の道。昨年には誰かがすっかり切り払ったんだが
ひと夏過ぎて今は元の木阿弥。
僅かの距離をほんの一寸のアップダウンで小梨山到着。但し小梨山
とはあくまで仮の山名。実際は無名峰。大昔の記録では「小梨子山」
(13 . . . 本文を読む
昨日の検診では酸素吸収率が97%とやや下降気味、だがこんなものは未だ
許容範囲で今更ガタガタ心配しても始まらない。
でも、折角急いで行ったのに予約のみの日にも関わらず1時間待ち、
どうやら居座った寒波で高齢者に血圧上昇・体調不良をきたす人たちが
急増したためとか。
で、気温上昇・風速2mの予報に釣られて吉井の山の中。
吉井の街中を抜けてR-71の末端・大判地を目指す。途中の東谷ダム
は全面結氷でブ . . . 本文を読む
一呼吸おいて、東に向かって長くて猛烈な急坂を滑り降りる。
この線もコブやピークの連続。直ぐに登りに掛かって
途中で振り返って見ると今、急降してきた山が大きく見える。
稜線上のはもっと小さいと有り難いのだが。
暫くは平坦、境界杭が全く見られないのでこんな杭でもホッとする。
偶にはハイキング用と思われる白のビニール紐。
やがて東西尾根と自然に合流し、まるで丘のような地形図上の
. . . 本文を読む
午前中、例によって家族を病院に送った後、次の予定まで4時間ほどの
間があるので榛東村へ古い神社跡の探索。切っ掛けは「吾妻山」の
登山口にある無銘の神社は吾妻神社ではなく、榛東の吾妻神社は
既に常将神社に合祀されてしまって存在しない」との情報を
「山はこれから」さんから貰ったから。確かな事は村役場に問い合わせて
いるが未だ返事は無い。
取り敢えず現場を見に行かなくては話にならないので、水沢・足門線 . . . 本文を読む