年末なのでーーと言う訳でもないが過去の爺イの記事にどうも
間違い臭いところがあるので修正をする。
問題の発端は上の写真「東宮殿下御手植之松」の石碑。何処に在るかといえば
乗附城址の近くでもあるし、三角点・乗附や東鉱標石のある場所に近い。
かって爺イは古城址探訪や三角点探しの記事で屡この石碑の写真を載せて
明治三十五年当時の東宮(皇太子)とは後の大正天皇の事だとか、ここに皇太子が
来たのは大演習でも . . . 本文を読む
そろそろ、高遠石工も終わりにしようと思ったが、近所で未だ数件が
あると判っているので大急ぎで一回り。
同じ町内にある「飯玉神社」に駐車して北側の「常福寺」へ。
山門前で何とも優しそうな顔をした奪衣婆を始め十王様の石像群が出迎える。
その中に一寸珍しいもの。ギョッとする様な台の上の首二つだ。
これは「人頭幢(ドウ)」という閻魔様の備品の一つで又の名を
視目嗅鼻と言うそうである。右 . . . 本文を読む
年末の雑事の合間に小八木町の妙典寺に向かう。ここに高遠石工の作品が
三基あるから。
R-17で前橋方面に向かい、「小八木町北」信号を左折し「鏡宮神社」前を
通過して中川小学校の斜向かいの妙典寺。
(1) 円板光如意輪観音 二十二夜月待塔
参道左手に大きく立っている。石工は「信州石工 藤沢直義」、この石工は同じ
小八木の諏訪神社の常夜燈にもその名が見られる。文政四年(1821)のものだか . . . 本文を読む
高遠石工の足跡を尋ねる散歩の第二弾は高崎・清水(せいすい)寺。
聖石橋を渡って観音山方面に一直線、道標に従って門内に入るも生憎な事に
駐車場はないので路傍駐車。
(1)入り口に大きな自然石の庚申塔。寛政12年(1800)の銘。
(2)参道の石段下に三基が並んでいる。向かって左から芭蕉句碑・庚申供養塔・
地蔵像。
(3)芭蕉句碑 「観音の 甍みやりつ 花の雲」 天保13年(1842) . . . 本文を読む
先日からの石碑つながり。群馬の石造物の話になると、「高遠の石工」と言う
表現を目にする。江戸時代に信州・高遠藩が苦しい藩の財政を補うために農家
の次男・三男に石切や石像彫刻の技量を習得させ「旅稼ぎの石工」として
各地に派遣して稼ぎの一部を冥加金として上納させた史実がある。
この出稼ぎ石工たちが西毛地区で多くの優れた作品を残し、地元の石工達も
それに倣ったので群馬は石仏の宝庫になったと言う事らしい。 . . . 本文を読む
今年の冬は少し高崎市内の石造物を訪ねる事にした。今までも史跡探訪と
称して相当廻った積りだが図書館で「高崎石仏研究会」の「高崎市の石造物」を
見つけたのでそれを参考にする。
手始めに乗附地区に数箇所あるという御嶽関連、先日藤岡の御嶽山を周回した
事との引っ掛かりである。この近辺でも御嶽信仰が盛んであった理由は
有名な秩父・御嶽山の麓にある「普寛神社」のこの説明板で良く分かる。
第一日目(1 . . . 本文を読む
漸く晴れで微風の予報、12月に入って冬篭りと決め込んで暫く歩いていないので
足慣らしで藤岡の御嶽山の周回へやや遅出で出かけた。
R-254の「本郷」を右折してR-13に入り3.7K走って「宿神田(ジンダ)」から右折して
R-176に進む。約4K程の左側に御霊(ゴリョウ)神社」に駐車。その先の登山口の
駐車場の筈の場所はロープが張られて立ち入り禁止になっていた(11.00)。
男道と通称され . . . 本文を読む