その後も色々と関係書籍を見ていたら十王様は身近にもっと存在しているようだ。
近くでは高崎・楽間町の公民館裏、ここは以前は「薬師堂」として知られていた。
一寸離れて前橋寄りになるが新保田中町延命寺、更に東吾妻まで足を伸ばせば
R-35の槻ノ木手前の植栗にある背高地蔵や金井一宮神社の周辺など。
東吾妻の二件は所在地の明確な記載は無く1970年代の記録で既に叢の中と
されているので後日回し(森山隆平・群 . . . 本文を読む
巷間伝わる冥土へのプロセスと称するものは中々厄介な手順が組まれているらしいが
否応も無く万人が辿る道だ。
先ず、死後七日の「初七日」には不動明王による下調べ。終わって三途の
川に来ると奪衣婆と懸衣翁によって生前の罪の軽重が計られ、十四日目
に釈迦如来の裁判を経ると川の渡り方が決まる。
川上の水の少ない「山水瀬」を渡るのは罪の軽い亡者、悪人と判定された
亡者は川下の「強深瀬」を渡らされるが流れ早く、 . . . 本文を読む
そろそろ、高遠石工も終わりにしようと思ったが、近所で未だ数件が
あると判っているので大急ぎで一回り。
同じ町内にある「飯玉神社」に駐車して北側の「常福寺」へ。
山門前で何とも優しそうな顔をした奪衣婆を始め十王様の石像群が出迎える。
その中に一寸珍しいもの。ギョッとする様な台の上の首二つだ。
これは「人頭幢(ドウ)」という閻魔様の備品の一つで又の名を
視目嗅鼻と言うそうである。右 . . . 本文を読む
年末の雑事の合間に小八木町の妙典寺に向かう。ここに高遠石工の作品が
三基あるから。
R-17で前橋方面に向かい、「小八木町北」信号を左折し「鏡宮神社」前を
通過して中川小学校の斜向かいの妙典寺。
(1) 円板光如意輪観音 二十二夜月待塔
参道左手に大きく立っている。石工は「信州石工 藤沢直義」、この石工は同じ
小八木の諏訪神社の常夜燈にもその名が見られる。文政四年(1821)のものだか . . . 本文を読む
高遠石工の足跡を尋ねる散歩の第二弾は高崎・清水(せいすい)寺。
聖石橋を渡って観音山方面に一直線、道標に従って門内に入るも生憎な事に
駐車場はないので路傍駐車。
(1)入り口に大きな自然石の庚申塔。寛政12年(1800)の銘。
(2)参道の石段下に三基が並んでいる。向かって左から芭蕉句碑・庚申供養塔・
地蔵像。
(3)芭蕉句碑 「観音の 甍みやりつ 花の雲」 天保13年(1842) . . . 本文を読む
先日からの石碑つながり。群馬の石造物の話になると、「高遠の石工」と言う
表現を目にする。江戸時代に信州・高遠藩が苦しい藩の財政を補うために農家
の次男・三男に石切や石像彫刻の技量を習得させ「旅稼ぎの石工」として
各地に派遣して稼ぎの一部を冥加金として上納させた史実がある。
この出稼ぎ石工たちが西毛地区で多くの優れた作品を残し、地元の石工達も
それに倣ったので群馬は石仏の宝庫になったと言う事らしい。 . . . 本文を読む
36.榛名町・上室田新屋
37.榛名町・駒形
38.榛名町・中室田萩久保
39.榛名町・白岩観音
40.榛名町・上里見間野
41.榛名町・上里見上神
42.榛名町・上里見上神(2)
43.群馬町・熊野
44.群馬町・熊野(2)
45.群馬町・熊野(3)
46.群馬町・冷水
47.群馬町・稲荷台
48.群馬町・西国分
49.群馬町・上野田
50.群馬町・中泉八幡
5 . . . 本文を読む
啓蟄は明日なのに気温予想24℃の触れ込み、これなら5月の陽気だ。
そこで道祖神の宝庫と云われる倉渕の西地区探訪。
R-29からR-406に乗り換えて合併で広がった高崎を西進。
(1)水有の道祖神
小栗上野介の菩提寺・東善寺の手前細道を右折して急坂を登る。
道の左側は防災壁で固められているが、工事の時に設置し直しを
された様な位置に二基の道祖神。
左のは祝言形だが如何にも浮かない顔つき . . . 本文を読む
(9)長井の百庚申
吾妻方面に進んで長井集落の道標に従って左折し、民家の間を行くと
再び道標で土手上に壮観な百庚申が見える。
文化財指定の説明版。
全体を縦に眺めるとこんな感じ。
一番西奥に六体の道祖神。
(10)熊久保の石仏群
一旦、道に戻って熊久保を目指して西進。小さな四つ角を右折して
杉林を過ぎ、集落に入るとこんな新型、将来の文化財候補?
. . . 本文を読む
久し振りの道祖神巡り、今日は安中市松井田町。この町には
百基の道祖神が残っていると云われるが、そのホンの一部と
珍しい石造物見物も兼ねる。
(1)明賀オカッパ道祖神
横川からR-18のバイパスに入り約3KでR-92(松井田軽井沢線)
への分岐。この道は軽井沢インター前を通過して和美峠で
下仁田からの姫街道に合わさる旧街道で峻険な碓氷越えを避ける道。
入って直ぐの右側に往時を偲ばせる大きな馬 . . . 本文を読む
(6)横川諏訪神社道祖神
再び横川に戻ってR-18新旧分岐手前で旧中山道へ。
直ぐに碓氷関所跡があるので一寸寄っていくーーというより
この辺は道が狭いので駐車場を借りるのだ。
碓氷坂の関所の歴史は古く899年に群盗対策で作られたとか。
この位置への設置は1615年頃で目的は「入り鉄砲に出女」の
取り締まり。1869年の廃関まで続いた。
そこから100m程東進すると諏訪神社の道標。 . . . 本文を読む
ゴルフコンペや社友会OB会も済んで、さて再始動と思ったら生憎の事に
本格的な梅雨に入ったらしく、東日本にはとんと、好天が巡って来ない。
だが、急にこの数日予報に晴れマーク。高峰や籠ノ登でもと思ったが、先日の
オッサンさんの記録では花は未だと知って、石仏巡りに変更。
種本は日本石仏協会編の「石仏地図手帖」。
目標はtomoさん、「重鎮」さんや「あおちゅう」さんのお膝元の沼田地区。
勿論、膨大な沼田の . . . 本文を読む
(6)沼田平八郎の墓
途中まで戻ってR-265を北上して万福寺に向かう途中に墓所看板。
沼田平八郎は1581年に敗死し、沼田氏の祖・三浦氏が1247年に利根に
来てから334年の時を経て利根の支配者の座を降りた。1580年には
既に真田昌幸は勝頼の命によって沼田における北条勢力を一掃し、無血入城して
いたが、平八郎は翌年に再起を謀って沼田城奪還の兵を進めるが、蔵内城で
奸計によって倒された . . . 本文を読む
上の写真は沼田真田氏の初代と言われる真田信之の肖像。
(1)はじめに
沼田地区の石像物探訪で目に触れたのは18世紀ぐらいの物が主体だったが
別格で追母薬師伝説が10世紀初頭の話で特別に古い。
小倉百人一首の「心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる
白菊の花」に絡めた伝説の主役は平安前期の歌人で
凡河内躬恒(オウシコウチノミツネ)とその母親の白菊御前。
道真左遷の時期に三峰に幽閉され . . . 本文を読む