クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

再び仏体山登山道探し H-18-7-30

2006-07-30 20:20:42 | 中之条・小野上・みなかみ・沼田・渋川
再び中之条・仏体山のきちんとした登山路探し。5月末の簡便登山路 の続きである。 35号線から中央橋を渡って「小野上」へ、西進して左に小野上温泉の 大看板を見てJRの高架を潜ると直ぐに村道の表示と十二ヶ岳の案内板 の所を右折、 道なりに 進んで十二ヶ岳への村道を登る。間も無く左に採石場のゲートを過ぎて、 右に旧採石場跡が現われると舗装は一旦切れ、先日来の雨水のせいか道は 大荒れ、仕方なく先日より . . . 本文を読む
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行人塚のお勉強 H-18-7-28

2006-07-28 20:22:22 | 伝説・史跡探訪
史跡巡りや伝説の地の探訪をしていると時たま「行人塚」という言葉に ぶつかる。これも今までの爺イの興味の範疇からは外れているもの。 早速、お勉強が必要。 倉渕の古い記録に村内7箇所にあると聞いてそんなに在るのか? と再認識。物の本によると「入定塚」とも言われる行人塚とは、高徳の僧 などが生きたまま墓穴に入って往生を遂げた塚の事。「入定」とは座禅を 組み、身心を統一して静慮の境に入る事らしく、元々は禅 . . . 本文を読む
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諸説紛々長野氏伝承 H-18-7-25

2006-07-25 18:27:59 | 伝説・史跡探訪
昼近くなってから突然陽が射して来た。オィオィこんな予報は聞いてないよ、 と口ではブツブツ言いながら手の方はさっさと山行きの着替えに掛っている。 予定はすっかり癖になった伝説の確めだ。 切っ掛けは某氏のHPで「箕輪城陥落は永禄9年と云うのは間違いで永禄6年 が正しい」と断言しているのを読んだから。爺イの常識は永禄9年、理由は 司馬遼太郎がその様に書いているからと、いとも単純明快。事実、多くの 表示が . . . 本文を読む
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雨降りの傘に候 H-18-7-24

2006-07-24 16:38:44 | その他
またもや裏切られた。と言っても多寡が大河ドラマでの他愛無い話。 7/23の放映は家康の巧者振りを証明した「小牧・長久手の戦い」 場面、爺イは二つの逸話が上手く取り入れられている事を期待した。 一つは山内一豊が例の十両の名馬を見失ったまま逃げる所、もう 一つは当時未だ三好姓であつた「秀次」が敗走中に輩下の者に 見捨てられる件である。 残念ながら二つともカラ振り、おまけに制作費の節減のためか戦闘 場面 . . . 本文を読む
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遭難メガネ救出作戦 H-18-7-22

2006-07-22 20:19:25 | 中之条・小野上・みなかみ・沼田・渋川
漸く梅雨前線が南に一旦下がった。来週は再び雨模様なので、この時を 逃しては既に放置1週間を過ぎた「遭難メガネ」を救出する機会はなく なる。このメガネ、超軽量・遠近両用なので運転時の計器読み、山では ナビ・カメラの表示読み・防虫・小枝避けの必需品。 既に馴染みになった中之条・青山に急ぐ。不動産会社前に駐車させて もらって登山路の水を警戒して防水ズボンを穿いて歩き出す(11.05)。 例の「危険・注意 . . . 本文を読む
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奪衣婆ダツエバにご対面 H-18-7-22

2006-07-22 19:45:22 | 中之条・小野上・みなかみ・沼田・渋川
太湖を辞して今度は岩井堂。目的は或る古い石像を確認することである。 先日、金井竹徳著・「石の心 上州の石仏」の写真をパラパラとめくって いたら「奪衣婆」の二枚の写真があった。これらは爺イが全く関心の無 かった範疇。それも岩井堂と下室田の「長年寺」とあつたのでメガネ探し の帰途に尋ねる事にしていたからである。 下の少し怖い写真がそれ(14.01)。岩井堂左手から裏に回ると薄暗い 中に数体の仏像と共 . . . 本文を読む
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読書三昧  H-18-7-20

2006-07-20 14:19:09 | その他
ハイカーにとっては、どうにもならない長梅雨で爺イも家のなかで 腐りきっている。こんな時は読書でもしている以外にやることがないのだ。 司馬遼太郎の「功名が辻」を読み返して大河ドラマの脚色が余りにも原作 を無視しているのに憤慨。 口直しに深沢七郎の「笛吹川」を読んだら今まで気付かなかった作者の 大きな遊びを確信した。この小説は1958年の発表であり爺イの持って いる文庫本も黄色く変色している程であるが . . . 本文を読む
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高遠石工のこと  H-18-7-18

2006-07-18 16:38:37 | 伝説・史跡探訪
群馬の石仏の話になると、「高遠の石工」と言う表現を目にする。江戸時代に 信州・高遠藩が苦しい藩の財政を補うために農家の次男・三男に石切や石像 彫刻の技量を拾得させ「旅稼ぎの石工」として各地に派遣して稼ぎの一部を 冥加金として上納させた史実がある。この出稼ぎ石工たちが西毛地区で多く の優れた作品を残し、地元の石工達もそれに倣ったので群馬は石仏の宝庫に なったと言う事らしい。 個々の石像に彼らのサイン . . . 本文を読む
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熊に遭遇・青山山 H-18-7-14

2006-07-14 21:32:18 | 中之条・小野上・みなかみ・沼田・渋川
13日のゴルフは高温・多湿で参った。勿論成績は「可も無し不可も無し」どころ ではなく「可も無し」だけで中位で沈んだ。疲れも残っていたが折角の好天予想 なので軽めのハイク計画で中之条・青山山。ここも不遇山の典型で300選氏に よる仏体山からの長い縦走途中の記録があるだけ。 一寸遅い出発で35号線の「新巻」を右折して「市城」、ここから353号線 を2㌔西進すると、左に「セキチュー」、その斜め手前のニッ . . . 本文を読む
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林道・南榛名山線再チェック H-18-7-12

2006-07-12 18:41:06 | 榛名山麓
明日は恒例の同好会月例ゴルフコンペ。雨の合間を利用して練習場で ドロ縄的特訓。 帰りに一寸榛名まで足を伸ばすことにした。実は榛名南麓の低山・種山 の登山口に関して300選氏の記録が爺イの知らないコースなのでそれ の確め。序でに林道・南榛名山線の纏めをするためのデーター収集。 (1) 林道入り口 126号線で駒寄の先、林道同士の大きな四つ角があるが、右は東榛名 山線、橋を渡る左折道に南榛名山線の終点 . . . 本文を読む
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相満山の由来を尋ねて(1) H-18-7-4

2006-07-06 17:33:18 | 伝説・史跡探訪
昨日は中之条・市城の「宗福寺」にお邪魔して5月末以来の紛失カメラ 探しに終止符を打つことを伝え、ご協力に感謝しつつ掲示物の撤去を してきた。後日、CDに落とす積りだった62Mに及ぶ貴重な写真は 戻ってこないが致し方ないと諦め。但し相当数は変形してプログに アップロードしてあるので時間を掛ければCDに再現は可能。 その中之条への往復途中の榛名東麓で凄まじい局地的豪雨に遭遇して 難渋したので、今日の予 . . . 本文を読む
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相満山の由来を尋ねて(2) H-18-7-6

2006-07-06 17:31:23 | 伝説・史跡探訪
先日、「相満伝説」を訪ね歩いた後、調べてみると未だ細かい伝説が 残っている事に気付いた。大体、千葉(平)常将は確かに実在の人物 だし長和年間(1012-1016)に船尾山堂宇が焼き討ちにあった のも史実であり、ここから無数の伝説がばら撒かれたのであろう。 889年の「将門の乱」で見られるように高望王から発した桓武平氏 の子供達は関東に広くばら撒かれた。後に頼朝の元に馳せ参じてご家人 となった畠山・ . . . 本文を読む
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