リハビリ散策第二弾、今日は安中の古城址探訪。
安中氏が最初に支配したのは松井田だ。それも地元の豪族かと
思ったら越後からの移住者だったのだ。「安中志」に
「出羽守忠親、後に安中出羽守と改、長亨元年(1487)上野国
碓井郡松井田小屋城を建て、越後新発田より引き移るーー」
「上野誌」の記録は「松井田西城に引き移り居住す」
とある。
小屋城は新堀の松井田城安中曲輪の事だし西城とは同じ新堀の
金剛寺辺 . . . 本文を読む
そして瓶尻の戦いから二年後の永禄二年(1559)、信玄は大軍を
率いて二度目の西上州への侵攻。だが、業政に翻弄されて不成功、
遂に「あの爺が生きている限り落城は無理」とぼやくばかり。
そこで中央突破は諦めて業政の手足となる諸将の城を弱そうな
所から順次に攻略し最後に本拠を衝く方針に転換。
そうしている内に永禄四年、業政が亡くなる。遺言として
「-仏事を修するなかれ。子も敵に降るなかれーー」として . . . 本文を読む
天気は良し、気温も高め。恐々ながらリハビリに少し歩き始めた。
ただの散歩では面白くないので史跡探訪の積もりで安中へ。
狙いは安中氏の興亡の筈だったが蛇足の伝説の方が面白くなった。
「八重の淵」がらみである。この八重の淵はかって小幡の
「お菊事件」を追い回していた頃、類似伝承としてここを訪れているが
今回、ここにある碑が医療関係者による建立と聞いて好奇心が
再燃したのだ。
事の成り行き上、三年前の爺 . . . 本文を読む
上の写真は山崎一氏の著書にあつた鷹留城址のもの、何で今頃かと言うと
三角点探訪の時、此処に在る筈の「三角点・根古屋」を未だみつけられて
居ないから。それに城址記録に興味が湧く。退院後、未だリハビリも
始められないので色々と思いを巡らせている。
先ず、長野氏菩提寺の長年寺に残る「長年寺記」から抜粋。
「明応年間(1500)、長野業尚浜川ヨリ徒リ下室田ニ居リ碓井・群馬両郡ヲ領ス。
文亀三年(1503 . . . 本文を読む
「よし! もう大丈夫だ 明日にでも退院して良いよ」
「そんな急に退院たつて、ほら毎日八本の点滴でこんなにがんじがらめなのに
先生、あんまり無茶言うなよ」
「大丈夫だよ 爺さん 大体直ったから」
「大体? 大体の程度で追出すのかよ 先生?」
「ほら これが退院証明書の原稿 良く読んで!」
「ふーん 一寸見せて
(傷病名) 肺気腫 気道感染 エ―ッ 俺の病気は肺気腫だったの?
(転帰) 治癒― . . . 本文を読む