この所、箕輪・長野氏に興味が沸いてきているので関連史跡巡り。
先ずは長野氏初期の居住地と言われる「浜川道場」へ。この名は
ここにある古刹の「金池山来迎寺」の念仏道場があったからとの事。
来迎寺は長野氏子孫の菩提寺らしく墓地は長野さんだらけ。
本堂脇の双神道祖神に見える石像物にちょこんと頭を下げて左に回ると
長野宗家が作った三十数体の墓石群が並ぶ長野氏廟所がある。
説明によると、落城以来 . . . 本文を読む
駐車場手前に早くも大きな石碑「水汲みにいくのが地獄の一の木戸
行くとは見えて 帰る人無し」箕輪城攻防戦の激しさか。
おやっ、是は何処かで聞いた事があるぞ! そうだよ 牛伏山の一郷山城の
攻防で見銘寺のあった北の沢の水の手を巡る伝承の筈だか。
まあ、武田の西上州侵略・寺・水の手と揃えば何処にでも当てはまるから
良しとするか。
直ぐに「水の手曲輪」の看板、
山裾に包まれた寺の全景。
石段 . . . 本文を読む
1/25、予定通り京都の測量・測地学研究家の上西勝也氏を迎えて前橋・新堀の
利根川改修に絡む水準点、観音山・乗附山の亜炭坑鉱区に使われた
「東鉱」標識を見てから、伊香保に向かった。
目標は伊香保温泉最古の歴史を誇る千明仁泉亭。この旅館の正面の築地の
脇に珍しい標示看板があるとは上西氏の話。それが上の写真。
もっと大きくしてみるとこんな事が書いてある。
明治十二年に標高測定値が尺貫法で、明治四十 . . . 本文を読む
昨日の調べものの時に忘れていたものを思い出させる一文を見てしまった。
H-18-6の一時期に疑問があってブログにも書いた「矢筈山」の事である。
以前の記事と一部分重複はするが再び疑問符を投げかける事にした。
前回は上の地図を見た事が発端だった。
何が気になったかと云うと「浅間隠山」と「矢筈山」が別個の山として
扱われていたからである。オマケに矢筈がトンでもない位置に書かれていた。
出所は「上野国郡 . . . 本文を読む
上の写真は「村長さん」から借り受けた今日の御題の岩平山標識。
今朝から雪雲と思われる厚雲が三国峠を乗り越えて榛名の北まで
押し込んできている。最高でも6℃という寒気を伴って。
こんな日の爺イは温室の様に温かい図書館の閲覧室で調べもの。
問題の発端は、昨日村長さんが登った「名知良久山」の筈の山頂に
「岩平山」の標識があつた事。
調査結果は下記。
(1)1978年発行「中之条町誌第三巻」の「中之条 . . . 本文を読む
寒気の居座りで何となく山は敬遠、一人歩きで突然プツンと切れたら
一大事だから。
午前中、恒例の運転手を努めたが、予報に反して案外冷気は感じない。
半端の時間を潰すため先日の未発見三角点・乗附の再探索。
前回と同じ場所に駐車。養護施設のメンバーが散歩の途中でニコニコ
楽しそう。
今日は工事中の和風レストラン・静香方面の道を辿り、水道施設階段から
施設のフェンスを廻りこむ。ナビは再セットしたが指す場所 . . . 本文を読む
北風も収まった1/14、観音山丘陵に連なる四つの三角点探訪に出かけた。
切っ掛けは京都在住の上西勝也氏から「観音山に鉱東と刻字された珍しい
石柱が在る」とのメールが来たから。かつて東京鉱山監督局が鉱区の測量用に
設置したらしいとの事だった。確かにこの丘陵一帯は八幡までを含めて
1960年代まで石炭・亜炭の鉱山が稼動していたのだ。早速、監督局に
問い合わせると現在の所管「関東経済産業局資源エネルギー . . . 本文を読む
大寒までニ週間前というのに三月末の気温の予報、何か狂っているが
老齢ハイカーにとって温暖は有り難い。今日は吉井を発して甘楽の峠を
二つと摩利支天山(仮称)をぐるっと一回り予定。序でに昨年三月に
「元亀穴の住人」氏から依頼されている山中に在る筈の旧亀穴集落
共同墓地の現況偵察も兼ねるのでザックの中にお線香を少々。
先日と同じ大判寺橋脇に駐車、五人釜林道の最高点を目指して発進。
(10.11)
大きく . . . 本文を読む
今年の「歩き始め」は手馴れたところで吉井の「西小梨山周回」。勿論「西小梨」
なんて通称までもいかない只の仮称だが、小梨峠を挟んで小梨山と対峙して
いるので。
本当は日曜日の方が気温は高そうだが、休日はハンターと鉢合わせの
可能性があるので回避。
今年も新年早々から雪山での遭難が続いているが何れも気象情報無視で
決められた予定での強引な実行や準備不足・情報不足が原因と言われる。
日光白根に来るのに金 . . . 本文を読む