上の写真は百体を超える仏像の大修復が終了したとの新聞記事を
読んで嵩山に行った時に写した写真。
どうしても引っ掛かりが残っている。何が?って名知良久山の事だ。
疑問は
①仏体山と岩平山は同一の山か? 仏体山の三角点の點名は岩平だが。
②921m峰は名知良久山なのか、岩平山なのか?
③748m峰は名知良久山なのか? 違うなら何山?
④嵩山から仏体山は見えているのか?
⑤嵩山の山域鳥瞰図の岩平山は何 . . . 本文を読む
上の写真は半結氷した吉井町・東谷ダム湖
漸く気温も10℃超え、冬篭りから這い出して甘楽・吉井の境界線巡り。
71号線で吉井の東谷ダム、ここが今日の駐車場所(11.23)。
登山口は約0.3k先の木工所脇、途中の右手の山が崩落したのか? 大規模
工事中。
入り口は例によって木工所機材置き場と化しているので石垣から入り込む。
道は作業道風だが誰も通らないのか大荒れ。両側から斜面が迫る狭い窪。
杉 . . . 本文を読む
今日一日だけの小春日和の予報を信じて予定の甘楽へ。一応は雪対策で
スパッツと二本のストック。予定では菊ヶ池からお菊の祠、真っ直ぐ
熊倉山に登り上げて稜線で無名峠から天狗山。――の筈だったが結果は失敗。
取敢えず吉井経由で西進、福島で左折して197号に乗り換えて小幡を目指す。
大きく蛇行する雄川を二回も渡って宝積(シャク)寺看板で左折、寺院前から
先に行こうとしたら路面凍結の気配なので已む無く寺院駐 . . . 本文を読む
数年来、蟠りの事がある。新田義重の事、余りに各説があつて困る。
義重挙兵の場所は新田ではなく片岡・寺尾と言う事で一応は落ち
ついてはいるが、現存の寺尾中城は南北朝時代の物との判定で
義重の平安末期のものではないとされる。すると、当時は京に在住し
平宗盛騎下となって平家に摺り寄り、都での栄達を画策していた義重が
1180 年の頼朝挙兵後の九月末に平家の源氏討伐の指示を受けたのか、急ぎ
下向して寺尾で . . . 本文を読む
最近はこの墓所を訪れる者が目っきり少なくてワシもすっかり
忘れられたようだ。たが、つい今しがた、白髪の爺イが
久し振りに墓所まで登って来て写真を撮ったら日向で
うつらうつらしていたので長い長い昔話を聞かせてやった。
終ると挨拶も無しにすたこら帰ってしまったんだが、
聞いていたのかな?その話ってのはこうだ。
ワシの祖父は知っての通り、武人の誉れ高い義家様だが、
その晩年は苦労の連続でな、後三年の役 . . . 本文を読む
昨日はインレッドさんの幻想ロマン「蔓梅もどき」を読んで涙ボロボロ。
URLはここ、http://ymanotayori.at.webry.info/200802/article_1.html
それで山に行く気が出たが、今朝の榛名南面の雪を見て「うーん」と唸り
あっさり安直な散策に切り替え。予定はお菊の祠経由熊倉山だったのだが。
今日も箕郷地区をブラブラと一回りして史跡を訪ねる。
(1)龍善寺と . . . 本文を読む
上の写真は極楽院跡の伝説の「さかさ梅」
あれほど盛況を誇った極楽院が何故に忽然と姿を消し、その時期や
理由について記録するものが無いのか?不思議に思いつつも色んな
資料を克明に調べていっても、謂れや最盛期の記述は多数あるが
その終焉に付いての詳細記述は無かった。唯一明治初期の郡村誌・
和田山村の項でたった一行「明治元年十一月廃寺」との記述を発見。
この郡村誌は明治政府が旧幕時代に支配者が変わる毎 . . . 本文を読む
明日は雨か雪との予報なので、先日に引き続いて箕郷地区の史跡と
伝説巡り。先ず前回見逃した業政公菩提寺の長純寺、それと
地図には載ってない伝説の「和田の館跡」と「極楽院跡」を
探すのが目的。
長純寺は鳴沢湖の北方なので車郷小学校脇を通って湖の北側の道を
梅林の方向に進むと直ぐに長純寺の看板。
やがて広大な敷地を有する寺、山の上の梅林まで広がった墓地群。
入り口に奪エバと閻魔様、
遠からず三途の河 . . . 本文を読む