先日の二連敗にもめげずに曇り空の今日も倉渕へ三角点探し。
高崎市管轄の三角点119の内、訪問したのは110、残り9ヶは
倉渕6、旧榛名町3であるが、何れも山頂ではない山岳地帯のため、後回しに
なっている難物揃い。榛東村・旧群馬町・旧吉井町・吉岡町は全て訪問済み
なので合併で範囲が広がった高崎市も何れケリを付けたい。
(1)三等 點名・三ノ倉 541.97m N-36-25-32-3 E-13 . . . 本文を読む
(2)四等 點名・清水平 453.61m N-36-24-37-0 E-138-48-34-7
R-33を下って再び郵便局四つ角、高崎方面に左折して高野谷戸地区。
地主さんにお願いして「兎橋」の東側の空き地に駐車。バス停も同じ名前(11.16)。
急傾斜の細道を登っていくと、道端に小さな双神道祖神。
僅かの距離で二股分岐、迷ったが右の舗装路を選択。だが、これが大外れ、
正解 . . . 本文を読む
梅雨の晴れ間、だが2000m級の山は未だ早い気がしたので、山岳地の三角点
探訪を計画。結果は二箇所とも発見できずに屈辱の二連敗。もう藪の濃い
時期の山岳地三角点探訪は止めにしよう。
(1)三等 點名・大峰 935.8m 高崎市倉渕 N-36-27-45.6 E-138-42-41-0
位置は笹塒山から見ると東南方面の山の中。
R-406から権田でR-54に入って約7K、閉鎖状態の「倉渕ダ . . . 本文を読む
ゴルフコンペや社友会OB会も済んで、さて再始動と思ったら生憎の事に
本格的な梅雨に入ったらしく、東日本にはとんと、好天が巡って来ない。
だが、急にこの数日予報に晴れマーク。高峰や籠ノ登でもと思ったが、先日の
オッサンさんの記録では花は未だと知って、石仏巡りに変更。
種本は日本石仏協会編の「石仏地図手帖」。
目標はtomoさん、「重鎮」さんや「あおちゅう」さんのお膝元の沼田地区。
勿論、膨大な沼田の . . . 本文を読む
(6)沼田平八郎の墓
途中まで戻ってR-265を北上して万福寺に向かう途中に墓所看板。
沼田平八郎は1581年に敗死し、沼田氏の祖・三浦氏が1247年に利根に
来てから334年の時を経て利根の支配者の座を降りた。1580年には
既に真田昌幸は勝頼の命によって沼田における北条勢力を一掃し、無血入城して
いたが、平八郎は翌年に再起を謀って沼田城奪還の兵を進めるが、蔵内城で
奸計によって倒された . . . 本文を読む
上の写真は沼田真田氏の初代と言われる真田信之の肖像。
(1)はじめに
沼田地区の石像物探訪で目に触れたのは18世紀ぐらいの物が主体だったが
別格で追母薬師伝説が10世紀初頭の話で特別に古い。
小倉百人一首の「心あてに 折らばや折らむ 初霜の おきまどはせる
白菊の花」に絡めた伝説の主役は平安前期の歌人で
凡河内躬恒(オウシコウチノミツネ)とその母親の白菊御前。
道真左遷の時期に三峰に幽閉され . . . 本文を読む
裏妙義の山々は別として下仁田・松井田・軽井沢の交点辺りの低山は
高岩・千駄木・大山・矢ヶ崎・桜堂・愛宕・八風と回ったので今日は
残りの黒岩山と押立山。MHCさんが冬季に行っているのでその後追い
の様なもの。
R-18で碓氷バイパスに入り、新幹線高架の約1K手前のこの道標から
R-92(松井田軽井沢線)に左折。
間もなく、右手に大きな馬頭観音、和美峠に繋がる峠道の守り神だ。
約6Kで「千 . . . 本文を読む
久し振りの好天なので、碓氷バイパスの入山峠から桜堂山に行く事にした。
目的は三つで入山峠の「古道跡と祭祀遺跡」を見ること、桜堂途中にある
「岩に埋め込まれた三角点」を見る事、そして「あさぎまだら」さんが
裏妙義を見るのに最高の場所と云う桜堂山でゆっくり展望を楽しむ事。
R-18で西進して松井田バイパスに来ると、妙義が霞んでいる。今日の展望具合が
心配になりながら碓氷バイパスに入り、何時もの高速道 . . . 本文を読む
少々、疲れはしたが遺跡の見物に入る。
古代において、信濃国と上野国を結ぶ道は「東山駅路」と云われているが
この道は時代によって何回か道筋が変わっている。
東山道から江戸時代初期に引き継がれた旧中山道が最も有名で坂本から
山手に入る道は既に観光ルート化して熊野神社に向かっており、其の脇に
東山道跡が付かず離れずに見え隠れしている。
碓氷峠から約3K南のこの碓氷バイパスが通過する峠は「入山峠」であり . . . 本文を読む
上の写真は爺イがかって拓本に凝っていた頃、高崎の石碑の路で練習した
万葉の防人の歌、この歌の「碓氷の山」は碓氷峠か ? 入山峠か?という
頭の整理のため、入山峠に係る古代東山道の話を纏める事にしたが、
折角だからブログに載せてしまおう。
今まで「東山道 トウサンドウ」と気軽に言ってきたが東山道には二つの
意味がある事を忘れていた。
遠い昔、「大宝律令」というものがあつた。701年の成立とされるので . . . 本文を読む