先日、日本石仏協会編の「石仏地図手帳・群馬編」に接したが改めて群馬の
石仏の多さを認識させられた。山行きの途中でも時々見掛けはしていたが、
散発的なので差ほどには気にしていなかった。此れを機会に道祖神の宝庫と称せ
られる倉渕を訪れる事にした。上掲の写真は関組本社付近の草叢で見つけた
本の記載には無い無名道祖神。
(1) 落合の双体道祖神
406号線を西進して「湯殿山トンネル」を抜けると直ぐに榛名町 . . . 本文を読む
今日は居鞍から掃部・硯岩へ縦走してから「榛名ふれあいの郷」を経由
して県道周りで一周しようという計画。
県道126号線で榛名湖へ急ぐ。高崎から榛名湖へは五本の道があるが、
榛名神社経由・伊香保温泉経由・森林公園経由は遠回りなので、126号線
か28号線が良いが28号線は狭い上に平日は採石場のダンプの往来が
激しいので最適はこの126号線。
榛名湖はすっかり夏姿だが平日のためか、時間が早いためか、観 . . . 本文を読む
高崎に「和田の三石」という伝説がある。現物があるのでお話だけの
ものではない。ところが資料によってその記述が違うので困ったものだ。
この三石とは「和田の立石」・「上和田の円石」・「下和田の方石」
の事。その記述記録とは「高崎の名所と旧跡・田島武夫」と「上州の史話
と伝説・根岸省三」における相違である。「和田の立石」が高崎神社に
あると言う事は一致しているが、「高崎の名所と旧跡」では「方石は
下横町 . . . 本文を読む
高崎の郷土文化を高めた偉人と言えば「村上鬼城」と「内村鑑三」の
二人と言うのが定説である。高崎図書館の郷土史コーナーに行ってみると
内村鑑三関連の図書で埋まっている。しかし、現実にはこの内村鑑三と
高崎を直結的に関連付ける人がこの高崎にはどのくらい居るだろうか?
鑑三本人が江戸・小石川の高崎藩邸で生まれている事で分かるように
代々城主・大河内氏に仕えた家柄であり、東京外語から札幌農学校に
入学後に . . . 本文を読む
予定通り「新行山」を目指して353線で「四万」へ急ぐ。現地までは四万
バイパスで四つのトンネルを通過しなくてはならない長丁場、2つ目の
「湯原トンネル」を過ぎて連続した「犬麦」と「高野」の二つのトンネルを
抜けると左に「小倉の瀧」看板があるので「水晶山林道」へ左折、細い林道
を1㌔弱で「野外スポーツ林」駐車場に到着。自宅から57k。
早速、直ぐ脇の小倉の瀧看板から「新湯林道小倉支線」を歩き出す。 . . . 本文を読む
梅雨の晴れ間は今日限りとの予報を聞いて、昨日の疲れも何のその、
再び倉淵・川浦へ。いつものヒカリゴケ入り口前に駐車してゲートを
摺りぬけ滑川林道を歩き出す(9.44)。やがて笹塒との分岐を
左折する。(10.03)
ここの県・教育委員会の表示は入り口から0.3k地点となって
いるが所要時間からすると確実に1.0k以上はあるぞ。大きく
蛇行する林道歩きを経て、登山道入り口着は10.30。
ヒカリゴ . . . 本文を読む
折角の晴れ間に張りきったが、午後は雷雨との予報で出足を挫かれた。
それでも野球の負けとサッカー引き分けの悪日の験直しにと早朝から
全米オープンゴルフでメジャー三冠を狙うミケルソンを応援していたが、
何たる事か?最後の2ホールで崩れてオーストラリアのオギルビーに
栄冠を攫われた。サッカーではテレビが相変わらず予選突破の可能性は
あると吹聴してファンを騙している。最終戦でオーストラリアがクロ
アチアに . . . 本文を読む
毎日の雨、すっかり足留めを食らっている。週間予報でも向こう一週間に
晴れマークなし。
せめて野球をと見ていれば、吾が巨人軍は敢え無く八連敗、昨夜漸く
一勝の体たらく。今日からの待望の楽天戦も敵は最近妙に上り調子なの
で油断は出来ない。
サッカーは既に予選敗退を観念した。世論調査でも予選突破として
いる人は、たったの12%だとさ。後に引けないのは放映権を高額で
買ってしまった某テレビ局のみか。
クロ . . . 本文を読む
気になる記述を発見。先ず下の地図を見て下さい。
何が気になるかと云うと「浅間隠山」と「矢筈山」が別個の
山として扱われているからである。出所は「上野国郡村誌・碓井郡」
の付属地図、一寸古いがれっきとした公式刊行物。
爺イの常識では「浅間隠山」=「矢筈山」であるし、多くの登山関係の
HPでも「浅間隠」という山名の由来説明と共に頂上の双耳形又は馬蹄形
の形から「矢筈」の別名が出たと解説しているから間 . . . 本文を読む
竜ヶ岳のリベンジの積りで今日も倉渕へ。広い倉渕地区を走行して
いると「高崎市」という冠が付いているにしても道標に昔の地域名が
消えていないのでほっとする。倉渕は明治の初期には5ヶ村、
其れが明治22年になって権田村と三ノ倉村が合併して「倉田村」、同時に
川浦村・岩水村・水沼村の合併で「烏淵村」誕生。その後、昭和30年に
倉田村・烏淵村が一つになって「倉渕村」となり、平成18年に高崎へ編入。
「は . . . 本文を読む
最近は長い林道歩きもさほどには苦痛ではなくなったので、倉渕の「笹塒山・
ヒカリゴケ」の見物方々竜ヶ岳に行く積りで出掛けた。国道406号線で
西進して権田信号を左折して県道54号で進むが市町村合併で何処まで
行っても高崎市。やがて左手に「はまゆう山荘まで3キロ」の看板の反対側が
今日歩く「滑川林道」の入り口。ダム現場事務所もあるし、ヒカリゴケの
看板もある目立つ場所に駐車。(11.06)
早速、 . . . 本文を読む
今日の予定は中之条と吾妻の境界線上にある「家ノ鞍山」。この山は三等
三角点山ではあるが地形図には山名は無く、その上に国土院の三角点名は
「家ノ倉」となっている。多分「家ノ鞍山」とは通称なのかもしれない。
この山名はサーチで検索しても出てこない。
つまり、登山関連各HPでは扱われていないらしく唯一三百選氏が扱って
いるだけの不人気振りなので、正に爺イ向きの低山。
今朝、国土院の地形図をコピーしようと . . . 本文を読む