責任とは何でしょう。組織における責任とはなんでしょう。私利私欲が目的で行ったのではなければ、責任は回避できるという見解を持っている方がいます。また、現在の職務を全うすることが責任であるという。どういう状況になったら責任論が浮上してくるのでしょうか。組織の中の個人、個人の集合体としての組織。とらえ方によって随分と見え方が違ってくるような気もします。でも、それではいけないのでしょう。しっかりとした理念、信念の下に行動したり、言葉を発するようにしなければならないのでしょう。来年は、理念・信念を確固たるものにしたいと強く思います。
そういえば、民主党のマニフェストの目玉の1つ、子ども手当。一人26,000円というのはあまり根拠がないということが、以前新聞で読んだことがあります。民主党内での議論では当初13,000円程度だった?ようですが、インパクトがなく選挙対策としては弱いということでフランスなどの水準を参考に26,000円という金額を設定したと書いてあったような記憶があります(正直、詳細については正しいかは自信はありません。ただ、あまり根拠がないという記述は間違いないと思います)ちなみに、民主党や政府が盛んに「この程度は国が負担するんだ。ほかの国もやっている」と言っている「ほかの国」のを思い起こすと、消費税が日本の倍以上はあるような印象があります。消費税が10%や15%なら、この子ども手当も可能なのでしょうか?こういった試算を政府やシンクタンク、マスコミ、野党が公表すべきえはないか考えています。通常国会が始まればでてくるのでしょうか?もしそうした状況になった場合でも、政府は「消費税については議論はするが、4年間は絶対に増税しない」ということを貫くのでしょうか。いずれにせよ、当初予算で92兆円を超え、そのうち赤字国債が半分以上というのはいかがなものなのでしょうか。国が潰れることはありませんので、このつけは将来にわたって国民が負担し続けなければならないのですが...。
昨日TVで解雇されたプロ野球選手のドキュメンタリーが放送されていました。それを見ていて「必要とされるということはどういうことか」と考えさせられました。実力があってもなくても、要求(需要)にマッチしなければはじまらないということ。そして、そこにはひょっとしたら実力以外のもの、人間性というものがあるのかなぁとも感じました。自分自身を適切に評価できかつ、周囲と調整できる、共存できるというものが、プロ野球という実力主義の世界でもあるのかもしれないと感じました。間違っているかもしれませんが。要求ばかりではいけない。なぜ自分だけが評価されないなどと考えたらいけない、ということなのではないかと思いました。間違っているかもしれません。が、これは大切なことかと思っています。どんなに正しくても、受け入れなくてはならない場合もあるということだと思います。とにかく、周囲の状況を考えて行動することが大切なのだと感じました。
なんとかOfficeのアップグレードが終了しました。かなり時間がかかり、かつ予期せぬ状況が発生したりと、完了するまで不安でしたが何とか終了しました。たぶんこれで問題のかなりの部分が解決したものと考えています。でも、まだ正直不安はあります。そんなに多くのアプリケーションがインストールされているわけではないので、一度フォーマットしてインストールし直すという選択肢もあるのですが、一日つぶれてしまうので、正直避けたいところです。実験データや文書データが入っているので、最低限それらが保護されていればといったところでしょうか。PCなどの不具合はこのようにやり直しは比較的簡単にできますが、国策はどうでしょうか?そんなに簡単にやり直しはきかないでしょう。今予算編成の真っ最中だそうですが、聞こえてくる内容は?????よくTVに出演していた政治家の昨日のコメント(?)は正直、何?、という印象を受けました。「200%」という表現を使っていましたが、本当に200%の出来だったのでしょうか。いあわゆる従前の玉虫色の妥協としか私には受け取れませんでしたが...。本当に大丈夫なのでしょうか。日本は。