あの大騒ぎは何だったのだろうか。連敗中のシラけた顔が嘘のような明るさが漂ったのは4月27日の甲子園での練習からだった。あちらこちらで冗談が飛び交い笑い声が絶えない。連敗中はムスッとした表情で報道陣を避けていた中西監督もバッティング投手を務めるなど元気いっぱいで自ら記者達の輪に割って入るなど態度が一変した。
休養説がピークに達したのは4月22日だった。その前日まで5連敗「打てんから勝てんわい」 「対策?そんな事をアンタら(報道陣)に言う必要ないやろ」と中西監督。その夜チームは名古屋にいた。そこにナゴヤ球場に小津社長がやって来るとの一報が入った・・さぁトラ番記者が色めき立った。負けが込んでから各社の担当記者は試合展開などはそっちのけで監督の去就が最大の関心事になっていた。早朝7時頃には中西監督の自宅マンションに顔を揃え試合後に帰宅するまで張り付いていた。村山・金田・吉田・後藤・ブレイザーとここ10年間で5人もの監督の首を挿げ代えてきた阪神。平均在籍2年の短命政権の繰り返し、不振打開には監督を代えるしか術がない球団がまたも同じ過ちをしようとしている。
4月22日に遠征先の名古屋に合流した小津社長の消息が掴めず大騒ぎとなったが翌23日に突然選手宿舎に小津社長が姿を現した。「選手を集めて社長が訓示します。その後に社長が記者会見をします」室山広報担当の発表に「ついに辞任か!?」と記者たちは電話に飛びついた。 固唾を呑んで待ち構える報道陣を前に小津社長は「いやぁ、みんな心を新たに一球の大事さを噛み締めて頑張ってくれと激励をしただけだよ」と言いに来ただけと。拍子抜けの記者たちはなおも食い下がったが「君達は先走り過ぎ」「長いペナントレースにはこういう事(連敗)はよくある。ジッとしていれば流れは自然と変わるものよ」 と小津社長は記者たちの追求をかわした。
この会見で一応、中西監督の去就は続投で決着しましたがチームの連敗は止まらず結局8連敗しました。4月26日のヤクルト戦で「山本和→江本→小林」という "明日なき継投" の禁じ手を使ってようやく連敗を止めました。そして翌27日の様子が冒頭の甲子園での練習風景。去就問題が決着した事で中西監督はノビノビと振る舞い、選手にもそれが伝わり疑心暗鬼を捨てて一致団結へと動き出したという図式である。
しかしフロントがもっと早い段階で動いていれば無用な混乱は避けられたはず。中西監督辞任説が流れてしばらくの間フロントは見て見ぬふりをしていた。ギリギリの場に追い込まれる迄沈黙を続け肯定も否定もしない。黙っているからマスコミは増々書き立て選手も疑心暗鬼になりチームの足並みは乱れる。「中西体制で行くなら行くと早く言えばそれでこの話は終わったのに。今回の混乱の責任はフロントにありますよ、この球団はちっとも変わってない」と阪神OBは嘆く。しかしマスコミは今回の火種は完全には消えてないと見ている。「フロントが監督交代を考えていたのは間違いない。ただ今回は後任のなり手がいなかっただけ今の泥船状態のチームを引き受けてくれる人はいません。秋には必ず再燃します」が大方の意見だ。