◎山沖之彦 ( 専修大→阪急・ドラフト1位指名 )
◆衝撃のデビュー…4月4日の開幕戦(対近鉄)でプロ初登板を果たす。それも8回一死一・二塁のピンチをピシャリと抑えてセーブポイントをあげた。新人の初登板・初セーブは史上初の事であった。
◆ジャンボサイズ…身長1m91cm、体重88kg は日本人選手の中ではヤクルト・宮城、中日・後藤に次ぐ第3位のノッポ。小学校5年から6年の1年間で30cm も伸びたという。
◆二十四の瞳…昭和52年春の甲子園選抜大会に出場した中村高校(高知)のエース。部員がベンチ入りの15人に満たない12人しかおらず「二十四の瞳」と話題となる。決勝で箕島高に破れたが日本中に旋風を巻き起こした。
◆東都の三冠王…高校卒業後は専修大学へ進学。1年生で4勝して優勝に貢献し最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインに選ばれて東都の投手三冠王と呼ばれた。通算成績は22勝22敗。
◆就職…ドラフト会議前には四国銀行への就職が内定していた。長男という事もあり両親は地元で安定した就職先に喜び本人もプロからの勧誘を固辞していたが阪急が1位で指名。四国銀行頭取が阪急ブレーブスの後援会会長という事もあって「阪急なら内定を辞退しても構わない」とのお墨付きで一転してプロ入りとなった。
◆契約金・年俸…1位入札は金村(近鉄)だったがクジを外してしまい山沖に。ただ契約金4500万円・年俸420万円は他球団の1位指名選手と遜色ない額。
◆ないないづくし…趣味はない。酒もタバコもやらない。ゲンかつぎもしない。何も興味を示さない退屈な人間なのかというとさにあらず、「何かを集め始めると際限なく世界中のモノを集めたくなる。だからやらない」と本人によれば根は凝り性なのだそうだ。
◆新人王…首脳陣も「新人王を狙わせる」と公言している。賞を取るには先発の方が望ましいが関口投手の故障というチーム事情で救援に回っている。「本当は先発をやりたいです。でも与えられた仕事をやり抜くのがプロだと思うので頑張ってます。やるからには新人王を狙いますが勝ち星と違ってセーブは幾つ稼げば良いのか今ひとつピンときません。それが不安材料ですかね…」
◆ライバル…「同期生というより自分以外のプロ野球選手なんて言ったら格好つけ過ぎですかね。リーグは違っても同じ東都リーグで一緒だった宮本(ヤクルト)にはやっぱり負けたくないです」
◎宮本賢治( 亜細亜大→ヤクルト・ドラフト1位指名 )
◆球歴…兵庫・鶴居中学で本格的に野球を始める。東洋大姫路高の2年春頃に投手転向するまでは主に遊撃手だった。昭和52年夏の甲子園大会で全国優勝を果たした時は背番号「10」の控え投手だった。亜大進学後は1年の春からベンチ入りし通算35勝は東都リーグ歴代4位。
◆涙の甲子園…昭和52年夏の甲子園大会2回戦の浜田高戦で登板したが先頭打者の打球を右手中指に受け7針を縫う怪我を負い、わずか5球で降板。「チームは全国優勝したけど個人的には甲子園に良い思い出は何ひとつ無い」と今でも慙愧の念がアリアリ。
◆裏切り者…東洋大姫路からの大学進学は通常なら東洋大学だが何故か同じ東都リーグのライバル校の亜細亜大へ。4年間、宮本は東洋大戦に登板すると当然のように「裏切り者!」の罵声を浴び続けた。このあたりの経緯については多くを語らない。
◆連続三冠…昭和55年秋~56年春の亜大連覇の立役者であり2シーズン連続で最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインの三冠に輝く。
◆おっちょこちょい…去年の夏休みに出かけた城ヶ崎海岸で水深を勘違いして頭から飛び込んで頚椎を痛めて2週間も入院する羽目に。4年生のラストシーズンに活躍出来なかったのはその時の後遺症のせいと言われている。
◆就職先…日本生命など5~6社から誘いがあったが本人は「プロ一本。通用しなかったら親父の仕事(建築業)を継ぐつもり。男なら一度はプロで試してみたかった」
◆契約金・年俸…「ドラフト1位に恥じない金額(塚本スカウト部長)」で契約金4000万円・年俸420万円。
◆妹?…ユマキャンプから帰国した成田空港に可愛いお嬢さんがお出迎え。「恋人?」との報道陣の問いに「いや、あの、別に…妹です」と大汗をタラタラ。
◆太鼓判…亜大・矢野総監督が「1年目から2ケタ勝てる投手。過去の教え子の中でも山本和(阪神)や古屋(日ハム)の1年目と同等の活躍は出来るはず」「もしも今年中に二軍落ちをするとしたら本人の怠慢。その時は私がユニフォームを脱がす」とキツ~イ送別の言葉を頂戴した。