Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#299 羽ばたけルーキー ②

2013年12月04日 | 1983 年 



入団当時は期待されたものの、ここで紹介された選手たちは残念ながら投打の中心選手にはなれませんでした…


岡本 光 (巨人) … 1月22日、多摩川グラウンドで練習する岡本を見た藤田監督はじめ首脳陣は異口同音に「これは使える」と唸った。素人目にも右腕が遅れて出て球持ちが良く、鈴木孝政(中日)の若い頃にソックリで強さとしなやかさを併せ持つ。「理想に近いフォームで典型的な速球投手」と藤田監督も興奮を隠せない。「社会人経由ですからね、1年目から一軍で働かないと」と本人も意欲的だ。この「社会人経由」の言葉には岡本の複雑な思いが込められている。

伊藤菊関西担当スカウトは和歌山・串本高のヒョロヒョロと背だけ伸びた痩せっぽちの投手に非凡なものを嗅ぎつけた。「彼を初めて見た時は1週間前に打球を指に当てたせいで練習を休んでいた。休み明け初の投球練習で投げた球のスピードとキレに目を奪われた。御世辞抜きで即戦力だと思ったよ(伊藤スカウト)」と早速スカウト会議で獲得を決め、岡本も巨人のドラフト指名を心待ちにしていた。しかし運命の悪戯か、巨人は江川事件の余波でこの年(昭和53年)のドラフト会議をボイコット。岡本は南海に3位指名されたが入団を拒否し、失意のまま社会人野球へ進んだ。

社会人に進んだ後の評価は浮き沈みが激しいものとなった。ドラフト指名解禁後に南海から再び指名されたが、その順位は5位で本人が納得出来る評価ではなかった。さらに昨年夏には利き腕手首に腱鞘炎を発症し、それを契機に撤退する球団も現れ「もう岡本は以前のようには投げられない」との声が会社内から出た。その岡本を巨人は敢然と指名した。まるで5年前の詫びをするかのように。懸念された腱鞘炎も完治し「昔から堀内投手のような帽子を飛ばして投げる姿に憧れていました。巨人に入団出来て本当に嬉しく、指名を見送る球団も多い中で指名してくれた恩返しをしたい」と活躍を誓う。強固な先発陣が揃っている為、先ずは中継ぎでの登板となりそうだが間違いなく新人の中では一番にデビューする筈だ。

【 3勝2敗2S 防御率 3.55 】


榎田健一郎 (阪急) … 「この新人は大した奴だ」野球に関する事に感心した訳ではない。1月10日に父親と共に合宿所「集勇館」にやって来た榎田は玄関に脱ぎ散らかしてあった10足ほどの靴を全部揃え終えると「PL学園から来ました榎田です。どうか宜しくお願いします」と一礼し入寮した。勿論、躾がなされているから野球が上手いとは言えないが、人として周囲に好印象を与えた事だけは間違いない。その榎田のプロ第1球は1月16日、西宮球場の室内ブルペン。甲子園の金の卵を見ようと阪急では珍しく100人近い報道陣が集まった。

河村コーチのミットを目がけてポンポンと糸を引くような直球を投げ込んだ。柔らかでどこか牛島(中日)を思い起こさせる投球スタイルだ。河村コーチの後ろに陣取る上田監督や梶本投手コーチの頬が緩むのに大した時間はかからず「こりゃ掘り出し物だ。オールスター前には一軍でバリバリ投げられるだろう」と最大級の賛辞まで飛び出した。「投げたくてウズウズしていたので気持ち良く投げられました。緊張?監督さんたちが見ているのは分かりましたが特には」と平然と答える榎田に上田監督は改めて「ピッチングも度胸も一級品」と惚れ直したようだ。

プロ入りの動機は夏の地区予選で春日丘高に敗れ甲子園出場を逃した事だった。「敗北者で終わった事が許せなかった。プロで勝利者になる」とそれまでのノンプロ志望を一転してプロ入りを決意した。好きな言葉は「一番」と迷わず答えるあたりに負けん気の強い性格が伺われる。有言実行が榎田の身上だ。「僕、PL学園に入って甲子園に出る」中学生の時だった。母・千枝子さんの愛読書の裏表紙に「甲子園出場」と記し、約束を果たした。その本は読まなくなった今でも母親の宝物として大切にされている。次の約束は富士山の頂上とも言えるプロ野球界のトップへ登りつめる事だ。
 【 0勝0敗0S 防御率 13.97 】


堀場秀孝西田真二 (広島) …頼もしいと言うか図太いと言うかとにかくその態度、風格はもう何年もプロの飯を喰っているかのようだ。沖縄での合同自主トレでベールを脱いだ堀場と西田の新人コンビが話題を振り撒いている。先ず堀場は巨体を揺すってのランニングで毎度毎度のドン尻。慶応ボーイから一流ホテルマンの洗練された経歴とはかけ離れた姿についたアダ名は「長野のおとっつぁん」 トレパンの前にタオルをぶら下げ、アンダーシャツがズボンから飛び出していてもお構いなしには周囲も呆れている。トレーニングコーチらに「みっともないからシャツを入れろ」と注意されても「シャツを入れても速くは走れませんから」と聞く耳持たず。

また口の方も達者で「タツ(達川)が競争相手じゃ物足りないスねぇ」「新人王?試合に出してもらえれば後から付いてきますよ」「課題はバッティングですけど広島市民球場は狭いですから本塁打数もソコソコ行くでしょう」「心配は怪我だけです」…何の事はない、正捕手の座は自分が貰ったと言わんばかりなのだ。こうした自信はどこから来ているのか?既に27歳で妻帯者であると言う精神的バックボーンもあるが、一番大きいのが年齢の近い山倉(巨人)・中尾(中日)らの活躍である。自分はアマチュア時代の実績では彼らに引けを取っておらず「彼らに出来て自分に出来ない筈はない」という思いで安定したサラリーマン生活を捨ててまでしたプロ入りだけに失敗は許されない。
 【 59安打 6本塁打 打率 .245 】

一方の西田の強心臓ぶりも負けていない。「今まで緊張した事なんてありません。甲子園でも神宮でもお客さんが満員であるほど体が熱く燃えてきました」 並み居る先輩たちの前で沖縄入り翌日には「バットを振るのは秋のリーグ戦以来」と言いながらも的確なミートで左右に打ち分ける非凡な打撃センスを披露し、見守る阿南二軍監督も「こりゃ一級品だ」と思わず感嘆した。PL学園時代にはエース兼四番打者として夏の甲子園大会で全国制覇。法大進学後は打力を活かして外野手にコンバート、1年生からベンチ入りを果たし2年生の春には早くもベストナインに選ばれた(通算5回選出)。

西田の打撃センスの高さを高校~大学と身近で見てきた木戸捕手(法大→阪神1位指名)によれば「アイツ、大学時代は打席で遊んでいたんですよ。『安打なんていつでも打てる』って言って色々と試し打ちをしていたんです、プロ入りを想定してね」と明かす。合宿所の西田の自室からテレビの野球中継で映される投手のピッチングに合わせて「ヨシッ、今のタイミングはバッチリだ」と発せられる声を木戸は何度も耳にしたという。ドラフト1位の西田とドラフト外の堀場。昨年の津田が球団史上初の新人王に輝いたが「こりゃ2年連続で新人王はウチが貰った」との声が球団関係者の間で広まっている。
 【 402安打 44本塁打 打率.285 】
コメント
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