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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 361 スパイ大作戦 ④

2015年02月11日 | 1983 年 



話は半世紀前に遡る。アスレチックスにH・アームキーという35歳のベテラン投手がいた。彼は大リーグ通算166勝の一流投手だったが1927年には既に肩はボロボロだった。ア軍はこの年の夏場に入って首位に立ち優勝を射程圏内に捉えた。このまま行けばワールドシリーズに出られるかもしれない。最後の遠征を前にコニー・マック監督はアームキーを呼び「君を遠征に連れて行かない。この先は君の代わりに若い投手を使うつもりだ。今までご苦労さん」と告げるとアームキーは「監督の言う事は理解出来ます。でも16年間投げてきた私の夢はワールドシリーズの舞台で投げる事です。優勝したら1イニングで構わないので投げさせて下さい」と訴えた。それに対してマック監督は「分かった。相手のナショナルリーグで優勝するのはカブスだと私は睨んでいる。今日から君は投げなくていいからカブスの弱点を探ってくれ。そしてカブスが相手と決まったら君に投げてもらう」とアームキーに新たな任務を課した。

こうしてアームキーの諜報活動が始まった。カブスの試合を追いかけ監督の作戦の傾向、サインの出し方、投手や打者の癖を探り克明にメモを取った。更に選手の私生活まで監視するようになった。その間にアスレチックスは優勝しマック監督の読み通りカブスがナショナルリーグを制した。1927年10月8日、遂に両チームによるワールドシリーズが始まった。第1戦のア軍の先発投手はアームキー、敵も味方も唖然とした起用だったが結果は1失点の完投勝利だった。最終回は三者連続三振、計13奪三振は当時のワールドシリーズ新記録だった。このケースはアームキー本人が情報を収集・分析をし実践するという実に有効かつ効率的だった。この年のワールドシリーズはア軍が4勝1敗で制した。アームキーの他にウォルバーグ、アーンショウ、ロメルの3投手が1勝づつしたがアームキーの情報を共有した事は想像に難くない。

このアームキーの一件は大リーグ各球団に大いなる教訓となり、多くの球団が大なり小なり情報収集をするようになった。日本で言う先乗りスコアラーで米国では " アドバンス・スカウト " と呼ばれて、それを専門の職とする者まで現れた。有名どころではアル・キャンパニス(現ドジャース副会長)だ。現役時代は二塁手だったが選手としては大成しなかった。後に今でも読み続けられている名著『ドジャース戦法』を書いたり、スカウトに転じてあのサンディ・コーファックス投手を発掘するのだが、アドバンス・スカウトとして手腕を発揮したのが1959年のホワイトソックスとのワールドシリーズだった。相手のあらゆる情報を収集しホワイトソックスを4勝2敗で下してワールドチャンピオンフラッグを初めて西海岸の球団にもたらした功労者である。

ドジャースは西海岸にやって来る以前にブルックリンを本拠地にしていた 1939年~48年は名将・ドローチャーが監督を務めていたが彼は後年に『お人好しで野球に勝てるか』という半自叙伝を出版したが、題名からも推察出来るように現役から監督時代に至るまで一貫して " こすっからい " 野球に徹していた。ドローチャーの指示でドジャースはサイン盗みをしていた。当時のエベッツフィールドには手動式のスコアボードが設置されていたが、その中に潜み双眼鏡で捕手のサインを覗いていた。H(安打)・E(失策)・FC(野選)を示す小窓からハンカチを振って打者に球種を教えていた。Hの小窓なら直球、Eならカーブ…、そのお蔭なのかドローチャー監督時代のドジャースは強く、1944年を除く全ての年で3位以下に落ちる事はなかった。

同時期のインディアンスのアルビン・ダーク監督も同じような事をやっていたがその方法は些か稚拙だった。外野にしかるべき偵察要員を配置するのは一緒、ただし打者への伝達方法がお粗末だった。偵察者は外野席の最前列に陣取り、靴を脱いで両足をフェンスの上に差し出すのだがその姿は少々奇異だった。両足に履いているの靴下の色が赤と白と左右別々だった。そう、御想像の通り赤色の靴下なら直球・白色ならカーブ・両足ならチェンジアップを意味していた。しかし左右で色違いの靴下を履く事自体奇妙なのに、それをわざわざ見せびらかす態度を不審がらない方がおかしい。直ぐ相手にバレてしまった。

ワールドシリーズは後になって別称が付けられる事がある。1977年のワールドシリーズは、R・ジャクソンが「Mr.オクトーバー」の名に相応しい活躍を見せ「レジー・シリーズ」と呼ばれるようになった。その前年の1976年は「ウォーキートーキー・シリーズ」と呼ばれている。日本語に翻訳すると「携帯無線シリーズ」だが何故このように呼ばれるようになったのか?第1戦での事、ヤンキースの球団職員がネット裏の最上段からベンチに無線で連絡を取っていた。「右翼手をもっと前に、中堅手を右寄りに」…これに対戦相手のレッズが抗議した。判断はコミッショナーに委ねられたがヤンキース側は「データに基づいて守備位置の変更を指示しているだけ。ベンチからだと全体像が掴めないので高い位置から見ている。ネット裏上段から見ているので相手ベンチや捕手のサインを覗く事は出来ない」と主張し、コミッショナーもこれを認めて無線の使用を許可した。

第二次世界大戦前のヤンキースにビル・ディッキーという捕手がいた。ある試合での出来事、新人が打席に入った。彼は1球毎に打席を外して三塁コーチの方を見るがサインは毎回同じ。たまりかねたディッキーは言った「オイ坊や、三塁コーチは何度もエンドランのサインを出しているんだ。次の球は外角に来るから上手くやれよ」と新人に花を持たせた。また今季に阪急に来たバンプ・ウィルスの父であるモーリー・ウィルスの場合も面白い。盗塁王の常連である俊足のウィルスが一塁に出塁して、すかさず盗塁を狙うが相手バッテリーの呼吸が合わずサインがなかなか決まらず投げられない。投手はカーブを投げたいが盗塁を阻止したい捕手は直球を要求していたのだ。業を煮やしたウィルスは捕手に向かって「カーブの時は走らないから投手の希望を聞いてやれ」と怒鳴った。塁上のウィルスにサインは筒抜けだったのだ。

マイナーリーグの場合はもっと大胆になる。とある試合でバッテリー間のサイン盗みが得意な三塁コーチは投球と同時に大声で球種を叫んだ。すると投手の中には咄嗟に投げる球を変えたりして対抗した。そこで三塁コーチはコーチスボックスの一角にスコアボードの電光掲示板に直結するボタンを埋め込んだ。ボタンを踏んで電球を点けたり消したりして打者に球種を伝えたのだ。しかしこの方法も露見してしまう。風が吹こうと雨が降ろうと三塁コーチが立つ位置が変わらない事に不審を抱いた相手チームがボックス内を隈なく調べてボタンを発見したのだ。いつの時代もスパイ行為は無くならない。なら対抗策は無いのか?少なくともバッテリー間の防止策なら有る。捕手がサインを出したら投手が間髪入れずに投げればいいのだ。最近の大リーグの試合時間が2時間10分~20分に収まっているのもそのせいだと思われる。スピードアップは観客へのサービスだけではなくサイン盗み防止も兼ねている。

話は現代に戻るが大リーグは今、新たなスパイ問題で揺れている。なんとコミッショナーが独自にスパイを雇って選手の私生活を監視しているというのだ。事の発端は選手会理事長のモフェット氏が「コミッショナーの監視に注意するように」との通達を選手にした事である。当初はコメントを出さず静観していたコミッショナー事務局だったがファンの間にまで抗議の声が広がると記者会見を開き「我々は大リーグの健全化を維持する為に選手らがギャンブルなどに手を出さないよう監督しているだけで私生活を覗き見している訳ではない」と釈明した。これに対し選手会側は「選手は勿論、家族のプライバシーまで脅かされている。事務局の説明は説得力に乏しく広範囲の調査は適切でない」と反論した。今の所コミッショナー側も引き下がる気配はなく今後の成り行きに注目が集まっている。
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