
ペナントレースも終わり今はもうすっかり秋。振り返るまでもなくあの試合、あの場面が手に取るように甦っても来る。選手もまた同じ。バラ色の落合もいればここにきて自らの人生に方向転換を計ろうという三浦らもいる。彼らの笑みと苦悩の軌跡を追ってみる。
◆衣笠祥雄(広島)…12年連続の全試合出場。今季を終えて連続試合出場記録は1695試合。とてつもない記録であり来季以降も伸びて行くに違いない。恐らく王貞治の本塁打記録と共に日本球界不滅の大記録になるだろう。ただ今年も打率3割の壁を越える事が出来なかった。「俺の毎年の目標は沢山のヒットとホームランを打つ事だ」と特に打率には拘っていないよう振舞うがそれは強がりに過ぎない。ゴルフ界のヒーロー・青木功が今年16年間のプロ生活でどうしても欲しかった日本オープンのタイトルを取った。過去に「欲しい、とにかく欲しい。お金で買えるなら幾らでも出す」とまで言っていたタイトルだ。恐らく衣笠も「3割」に対して同じ心境だろう。まして衣笠はプロ19年目であり青木以上かもしれない。
今年はチャンスだった。3割の大台を常にキープし晴れて2000本安打も達成し勢いを持続出来ていた。このまま行けばまさに両手に花だった筈が野球の神様は意地悪だった。死球を受けて左手親指を骨折したのだ。実は当初はさほど痛みを感じず単なる打撲と勝手に判断し病院にも行かなかった。しかし10月に入ると徐々に痛み出し満足にバットが振れないようになる。連続試合出場の記録さえ無ければ試合を欠場できるがそうはいかない。打率はみるみる落ち始めてとうとう3割を切ってしまった。3割死守にもがく衣笠を一番熱烈に応援したのは担当記者の面々だった。
3割1分前後をキープしていた頃には衣笠がプレッシャーを感じないよう極力本人の前で打率の話は避けていた。10月になりズルズルと打率が落ち始めると記者達が " 臨時打撃コーチ " になりアドバイスを送ったりしていた。その頃はまだ骨折の事実が知らされていなかった為「そのうち打てるさ」「何ならバントヒットを狙ってみたら」などと多くの記者が冗談半分で茶化していたりした。そして安打か失策か際どい打球で出塁すると公式記録員のジャッジを固唾を飲んで待ち、失策とされると「安打にしてやれよ」と落胆した。1年中、衣笠の傍にいるので本人の苦悩が手に取るように分かり他人事でなくなったのである。敵・味方関係なく愛される衣笠ならではだ。
しかしそんな願いも虚しく今年も打率3割は達成出来なかった。だがこれこそ衣笠らしいと言えるのではないだろうか。3割を打っては衣笠ではない。「不死鳥」「鉄人」「豪快な空振り」などと並んで「3割を打てない」も立派な衣笠の代名詞なのである。3割を打ったら万人に愛される衣笠ではなくなるのである。衣笠は打率3割を自らに課した永遠のテーマにしているが3割以上に本人はプロ入り以来「遠くに飛ばす」事に重きを置いている。フルスイングの結果に3割を達成する事こそが男子の本懐なのである。来季はプロ20年目の節目の年。「よっしゃ、来年は20周年記念で3割達成だ」と言い放つ。1月には37歳になるベテランにバット置く気は毛頭ない。
◆荒木大輔…屈辱のJr.オールスター戦。あの時のキッとした表情が忘れられない。7月22日、後楽園球場で全イースタンの先発として登板したが定岡(広島)に先頭打者本塁打を喫した。降板後のインタビューで記者から「公式戦じゃないし大して悔しくはない?」と問われるとそれまではにかみながら答えていた荒木が目を吊り上げ「悔しいに決まっているでしょ。僕は打たれようとして投げている訳じゃないですから」と語気を荒げた。厳しい言葉の響きに生きるか死ぬかのプロの世界に身を置いている事を改めて実感した。人気だけが先行して実力が追いついていない、そんなイメージを払拭する為にも打たれてはいけなかった。それなのに・・「相手が甲子園で投げ合った畠山(南海)だったでしょ。口では意識していないと言っていたけどやっぱり…」と悔しさを滲ませる。その畠山が3回をピシャリと抑えてMVPに輝いただけに悔しさは倍増だ。
荒木の周囲には常に人気と実力のギャップが纏わりついた1年だった。球団そして首脳陣は腫れ物に触るように破格な扱いに終始した。それは7年前のサッシーこと酒井投手の比ではなかった。キャンプ前から激励会、後援会の発足、引きも切らない取材攻勢、そしてCM出演。しかも親会社より先に他社製品のCMに出演するのは異例中の異例。忙殺される日々に荒木に心底からの笑顔は無かった。その端正な顔に会心の笑顔が初めて広がったのは5月19日、神宮球場での阪神戦でプロ初勝利を上げた時だった。予告先発、少し前の5月9日に19歳になったばかりの荒木にこれまで経験した事のない重圧がのしかかったが、5回を3安打無失点に抑え大杉の本塁打による1点を守り勝利を手にした。
試合後の会見で「新人王?まだ1つ勝っただけでそんな大それた事・・今はずっと一軍で投げられるよう頑張るだけです」と語っていたが実はその時に言わなかった感想を後になって話している。それは「1つ勝つ事の難しさと怖さが分かった」と打ち明けた。チームの方針で実力不足は明らかなのに一軍に帯同し自分が納得出来る練習もままならず興味と嫉妬の視線に常に晒され、不本意ながら言われるがままに投球フォームを幾度に渡り改造された挙げ句に結果を出さないと「所詮は人寄せパンダ」と酷評された。
自分は何をすればいいのかすら分からないまま一軍で開幕を迎えた。首脳陣はなるべく負担が少ない負け試合の中継ぎで起用しプロの世界に馴染めるよう努め、荒木もまたそれに応えて一応の結果を出して挑んだプロ初先発。自分を勝たせる為に周囲の大人がどれだけ気を使っているかを記念すべき日を境に思い知る事になった。首脳陣の狙いは既に今季ではなく来季以降に大きく伸ばす事にあると荒木にも分かる。投球回数は28回 2/3 と新人王の資格を来季に持ち越して今季を終えた。「監督さんの配慮はとても嬉しいです。せっかくですから来年の開幕前には " (新人王を)狙ってみたい " と言えるよう頑張りたいです」とその間に横たわるハードルが高い事は百も承知で荒木は力強く答えた。