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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 517 台湾製大砲

2018年02月07日 | 1985 年 



今年の日米大学野球選手権大会で全日本チームの四番を務めているのは名古屋商科大学の2年生スラッガー・大豊泰昭選手(本名・陳大豊・21歳)。大豊は台湾からの留学生で郭泰源(西武)から本塁打を放った事もある長距離砲だが、その大豊がスランプに陥っている。6月28日の第3戦まで全米チームの四番のキング選手は第1・2戦連続で本塁打を放つなど四番の重責を果たし、全米チームが2勝1敗とリードする展開に貢献している。対する全日本チームの四番・大豊は3試合で僅か2安打と低迷していて、四番の差が対戦成績を如実に反映していると言える。6月上旬に東京・駒大グラウンドで行われた全日本チームの代表選手セレクションで足立投手(早大)から左中間二塁打、左腕の小松投手(近大)から右翼線二塁打を放ち、選考委員や視察をしていたプロ球団のスカウトらのド肝を抜いた。「あのパワーは昨年の広沢(明大➡ヤクルト)より1枚も2枚も上。守備もとても柔らかい(選考委員長の中大・宮井監督)」「今すぐプロ入りしても充分通用する(大洋・重松スカウト)」とベタ褒め。今春の愛知大学リーグ戦では打率.408・4本塁打・14打点の成績を残しており文句なしで代表選手に選出された。

全日本チームに選抜されたとの一報に「僕は日本人じゃないからダメだと思っていた。本当に嬉しい」と大豊は涙を流して喜んだ。また大豊以上に全日本入りに感激したのが大豊が " 日本のお父さん " と慕う松井秀郎氏(48歳)だ。松井氏は運動具メーカーを経営しており、度々仕事で台湾の企業や学校を訪れていた。そこで華興高の陳大豊を目にした。183㌢・94㌔の立派な体格から生み出されるパワーでとてつもない打球を飛ばしていた。当時の陳大豊はナショナルチームに所属し国際大会にも出場していたが郭泰源や荘勝雄(ロッテ)ほど目立つ存在ではなかった。松井氏は「君は素晴らしい選手。もっともっと練習すれば日本のプロ野球でも通用するよ」と社交辞令も込めて激励すると即座に「ぜひ日本で野球をやりたい」と答えた。だが台湾の高校生に外人選手の1枠を空ける球団はない。そこで松井氏は懇意にしている華興高の方水泉監督に陳大豊を自分に預ける気があるか聞いてみた。陳大豊を日本人にしようと考えたのだ。

養子縁組をして日本国籍を得ようというのではない。あくまでも日本のプロ野球界が定める " 日本人 " にしよういうのだ。野球協約には「日本の学校に4年以上在学し5年以上居住する者は外国人と扱わない」と規定されている。そこで知り合いの中日・新宅コーチを通じて陳大豊を名古屋商科大学に入学させた。喜び勇んで来日した陳大豊に日本の風は冷たかった。日本独特の上下関係。そして勉強したとはいえ、なかなか通じない日本語。マネージャーに「死んででも台湾に帰りたい」と訴えたのも一度や二度ではない。「去年(1年生)は本当に苦しんでいました。でも私には決して帰りたいとは言いませんでしたね。あの苦労が今年の飛躍に繋がっているのだと思います」と松井氏は語る。本人も「帰らなくてよかったです」と今ではすっかり流暢になった日本語で話す。今年の5月7日には名古屋遠征に来ていた台湾の英雄でもある巨人・王監督と会って「頑張りなさい」と激励され感激していた。

2年のブランクがある為に2年生ながら21歳。11月になれば22歳になる。しかし日本流の上下関係を身に付けてしまった大豊は今回の日本代表チームの中でも年下ながらも上級生の先輩達に気を遣い遠慮している姿が目につく。「もっとノビノビやれば普段の力を発揮できるのに」とコーチを務める東海大・岩井監督も歯痒い思いをしている。気分転換にと第2戦からは使用が認められている金属バットから使い慣れている木製バットに替えたが思うような結果は出ず、第3戦では1点を追う9回裏二死満塁の場面で代打を送られてしまった。「悔しいです。でも打てない自分が悪い(大豊)」とうな垂れた。しかし2年ぶりのV奪還には大豊の打棒は不可欠。少しずつではあるが復調の兆しも見え始めた。「1本はどうしても打ちたい(大豊)」と力強く話す。異国の空に大きなアーチを描くのを台湾の両親も心待ちにしている。
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