11月8日、巨人・定岡正二選手の任意引退公示がセ・リーグから行われ、同選手の正式退団が決定した。「巨人以外のユニフォームを着たくない」とトレードを拒否しての引退決意。これによって他球団も巨人とのトレードに二の足を踏まざるを得なくなり、チーム再建を目指す巨人内外には色々と影響を与えそうだ
「こんにちは!」といつものように元気な声で定岡は後楽園球場の受け付けを通った。「今頃どうしたんですか?」という職員に「ロッカーの鍵を貸してよ」と陽気に声をかけた。真っ暗な通路。灯りのスイッチを入れて歩き慣れた廊下を進んだ。カチャという鍵の音がやけに大きく響き、無人の寒々とした空気がシーズンオフを感じさせた。すべてが終わったんだ…ロッカーの入り口には「関係者以外立ち入り禁止」の文字が。今の定岡は関係者ではなくなった。11月2日の夕刻、後楽園球場近くのホテルグランドパレスで長谷川球団代表と最後の話し合いをしたが両者は歩み寄る事はなく退団、任意引退が決まった。ホテルを出た定岡はその足で後楽園球場のロッカーを訪ねたのだった。
ここには選手達の生の声、生の姿があった。興奮で上ずった夜も、負けて暗く顔を歪めた日も、皆ここで自分を取り戻し「じゃまた明日」と仲間に声を掛け消えて行く。ここは思い出の場所だった。定岡は静かに荷物をまとめ始めた。来年には自分とは違う誰かがこの場所を使うことになる。公式戦のラストゲームは10月24日。選手達はオフの関連行事のスケジュール表を渡され、三々五々帰路についた。「オイ、定岡。メシでも喰わんか」帰ろうとした定岡に声を掛けたのは岩本渉外補佐だった。この誘いが今回の引退劇の幕開けとなるとは定岡が知る由もなかった。あの日から僅か2週間足らずで荷物を整理し別れを告げなければならなくなるとは夢にも思っていなかった。
「巨人に反発?いいえ、絶対にそれはありません。僕の我儘です。野球をやめる日はいつか必ず来る。その時は巨人のユニフォームでやめたい、と前から思っていました(定岡)」と巨人を痛烈に批判する話を期待?して定岡の周りに群がっていたマスコミは肩透かしを喰らった。退団話は大きく発展することなく幕を閉じようとしている。定岡が使っていたロッカーは綺麗に整理された。思い出の野球用具は段ボール箱に詰められたその夜に本人の手で処分された。過去を全て捨て去るように。ただ捨てられなかったモノが一つだけあった。「SADAOK・20」と背中に書かれたユニフォーム。「本当は球団に返さないといけないんでしょうけど、思い出に貰えないかなぁ・・部屋に飾るとかじゃなくて箪笥の奥にしまっておきたくて」と。
あの日、球団から渡されたスケジュール表。それが今は第二の人生への進路を決める為の予定表になった。「本当なら予定を書き込む手帳を買った方が良いのは分かっているんですが、今売っている手帳は来年用で今年の手帳は探しても無くて…」と今後の予定をスケジュール表に書いている。人づてに江川投手や中畑選手が定岡の激励会をやろう、という計画があると聞かされた。都合の良い日を、と聞かれてもスケジュールは埋まっておらずいつでも可能だが「皆の気持ちだけで充分。ありがとうと伝えて下さい」と誘いをやんわり断った。でもこのまま皆に黙って去るのは本意ではない。自然と視線はスケジュール表の11月23日のファン感謝デーに向けられた。
この日は巨人軍関係者、王監督はじめ一軍スタッフ・選手は勿論、二軍の選手達も後楽園球場に集まり、ファンの人達に1年間のご声援に対して感謝をするセレモニーだ。この日を逃したら二度と会えなくなる人もいる。会いたい、会ってこれまでの礼をしたい。しかし、今さら辞めた自分が行く事で周りに迷惑をかけはしないだろうか?いや、俺は巨人軍に反旗を翻した訳ではない。グラウンドには出ず、王監督や仲間に一言でいいから詫びたい。でも周りは迎え入れてくれてもマスコミに囲まれ大騒ぎになって混乱が起きた場合、果たして自分は責任を取れるのか?やはり行かない方が賢明なのではないだろうか。心は揺れている。
悩んでいるのは巨人も同じ。今季4勝3敗1Sだった定岡。来季の構想から外れたといっても47試合に登板した " 便利屋 " はいなくなる。昨季、今季とフル回転した鹿取投手に定岡が抜けた穴埋めを強いるのは酷な話。またトレードされたら辞める、と言っても現実を直視すれば従うに違いないと楽観視していた球団側の痛手は大きい。交換トレードは相手があってこそで、そこには球団同士の信頼関係が不可欠。今回の騒動で他球団の巨人に対する見方は厳しくなる。相手に足元を見られて不釣り合いなトレードでも合意しなければならなくなる場合も出てくるかもしれない。定岡の一件でミソをつけてしまった巨人は今後トレード交渉をしにくくなったのは確かである。