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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 543 ドラフトネタ 読売ジャイアンツ編

2018年08月08日 | 1985 年 



去年のドラ❶ 上田和明:母校・慶大の13年ぶりVに刺激された。来季の飛躍にドロまみれ
ファンの反応は正直だ。「アレ?上田じゃない?そういえばアイツをテレビで見た記憶がないな」と若手選手を中心に秋季キャンプを行なっている宮崎のスタンドで観戦していたファンが発した言葉だ。宮崎にいるファンにしてみれば春のキャンプでは多くの報道陣やファンに囲まれていた風景を目にしていたので、とても同じ選手であるとは思えないのだ。守りだけなら一軍で使えるという前評判だった。確かに守備練習では他の一軍選手と比べても遜色なかったが、「打つ時にバットのヘッドが下がる癖を直さないと一軍では厳しい(王監督)」と判断され二軍落ちした。周囲も本人も短期間で一軍に戻って来られると考えていたが、一度、二軍に落ちると余程の成績を残さないと再昇格は難しいのが現実。

開幕は二軍スタート。ほんの束の間の筈が二軍の試合でなかなか成績が上がっていかない。ようやく一軍からお呼びがかかったのは5月に入ってから。5月20日に一軍昇格し、23日のヤクルト戦でプロ初安打を放ったが僅か7試合で二軍へ逆戻り。その後は二軍暮らしが続きシーズン終盤の10月15日に戻って来たが結局、一軍での通算成績は11打数2安打で打率は2割を切り低迷。ちなみに二軍の成績は51試合に出場し打率.288 ・3本塁打・19打点と特筆するものではなかった。春のキャンプで一軍入りを争った岡崎選手は打撃で結果を残し一軍に定着する事が出来たのとは対照的な1年となった。

「守りの方もシーズン途中に下半身全体を使う動きに変えました。一軍ベンチの勝負にかける緊張感を実感できたのも成果でした。でも大学出のドラフト1位としては落第でしょうね。結局、非力だった打撃力不足に尽きます。広沢君には差を着けられてしまいました。足腰の強化、スイングの鋭さを目標に出直します」と決意を新たにする上田だった。秋季キャンプでは王監督が直々に打撃指導にあたるが「お前はまだまだお嬢さんスイングだ。インパクトの後に顎が上る癖も直さないとダメだ(王監督)」と手厳しい。周囲では上田は実戦向きで器用なタイプだから、我慢して一軍で使い続けていたら戦力になっていたとの声もあるが、上田本人が認めているように体力も含めたパワー不足を解消する事が一軍定着への近道だろう。



【 運命のドラフト当日:松本匡史 】
世の中なにが起きるか分からない。松本選手の場合がそれだ。昭和51年のドラフト会議で早大の4年生だった松本は巨人から5位指名されたが、それはまさに驚きの指名だった。というのも松本は当時「プロへ行く気なんて全くなかった。ドラフト前に何球団から挨拶があったけど、その場でお断りしていました」だそうだ。大学2年生の時に左肩を脱臼した事がプロ入りしない最大の理由だった。卒業後は内定していた日本生命に就職しサラリーマン生活を送ると決めていた。なのでドラフト会議当日は友達と新宿に遊びに出掛けていて、帰って来たら周りは大騒ぎだったそうだ。昨今は駄々っ子のように逆指名する選手が多い中で松本は文字通り「無欲の勝利」で憧れの球団からの指名をゲットしたわけだ。

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