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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 570 ペナントレース総括・中日ドラゴンズ

2019年02月13日 | 1985 年 



打線の " 小型化 " と守乱がアダに…
見る者をハラハラさせた57失策の三遊間
モッカ選手はシーズン閉幕前の9月20日に帰国した。人柄を愛され9月19日の試合後にはナインに胴上げされた。打率.301 は充分合格点なのだが、それをも帳消しにしてしまうほどお粗末な守備だった。そもそも" 不動 " である上に球際に弱くポロリポロリと落球をする場面が多々見られた。今季の阪神、巨人、ヤクルトの三塁手の失策は10個。しかしモッカは1人で24失策、チームとして三塁手は32失策。加えて遊撃を守る宇野選手は25失策。チーム全体の失策数112個のうち三遊間の合計失策数は57個、最少のヤクルト(25失策)の倍以上でリーグ最多である。投手陣は打球が三遊間へ飛ぶ度に冷や汗をかき、目をつぶり祈るしかなく堪ったものではない。

昨年比で55本も減少していたホームラン
昨季は勝率.598 で首位に3ゲーム差の2位と健闘したが今季は勝率.479 で首位とは15ゲーム差の5位に沈んだ。様々な要因があるが本塁打数の減少も大きな要因の一つ。宇野選手は昨季より4本増産したが谷沢選手は23本減、モッカ選手は18本減、大島選手は7本減と中心選手の多くが昨季より本数を減らした。また昨季20本塁打した西武へ移籍した田尾選手の後釜に期待された川又選手は9本塁打と田尾の穴を埋めることは出来なかった。セ・リーグ全体の本塁打数は昨季より増えているのに対して中日は55本減ときては他チームに後れを取るのも当然か。

暗い話題の中で投手陣の整備は来季へ光
今季は5位に低迷した中日にとって来季への光明は投手力が整備されたことだ。セ・リーグ全体の完投数は昨季が179 、今季は176 と大差なかったが中日は36完投から45完投へと増やした。昨季までの5年間はもっぱらリリーフ専門で、過去に先発した18試合でも完投はゼロだった牛島投手が今季は10試合に先発して6完投と先発投手としての役割を充分に果たしたことは収穫だった。更に郭投手15、小松投手14などリーグ最多の完投数でチーム防御率もリーグ2位と健闘した。

番記者が選ぶベストゲーム
10月24日・対広島26回戦(広島)。この最終戦の前まで小松投手と広島の北別府投手は共に16勝でハーラーダービーのトップで並んでいた。また同じく広島の川端投手と防御率争いをしていたが、3人はこのまま登板せず最多勝は北別府と分け合い、最優秀防御率賞は川端が獲るとの暗黙の了解で、両チームとも試合前からノンビリムードだった。ところが同じく今季最終戦だった大洋の試合がそんなムードを一変させた。大洋は9回を終了して2対2の同点で延長戦へ。仮に大洋が負けて中日が勝つと中日は4位に浮上する。この時点で広島との試合は9回表を終了して同点。勝てば4位かも…すると山内監督は何と9回裏から小松を起用した。こうなると広島も黙ってはいない。延長10回表から北別府を登板させた。二死二・三塁の場面で打席には小松。結果はタイムリーヒットで小松は最多勝と防御率の二冠に輝いた。ただし大洋が勝った為に中日は5位のままだった。

某コーチの職場放棄であわや山内監督辞任の危機
6月13日、対大洋戦(横浜)は雨天中止。中日ナイン一行は次の遠征先となる浜松へ向かった。ある一人のコーチを除いて。某コーチはチームには同行せず新横浜駅からこだま号に乗り、浜松で降車せず名古屋へ。当初、球団側は「何か理由があるのだろう。用事が済めば今夜中に戻って来る筈」とタカをくくっていた。翌朝の8時過ぎに宿舎である浜松グランドホテルの鈴木球団代表の部屋の電話がけたたましく鳴った。「まだ〇〇コーチが戻っていません。どうしますか?」本田マネジャーの声だった。「本人に連絡したのか?(鈴木)」「はい。ただ要領を得なくて…(本田)」「どういう事だ?戻る気がないのか?(鈴木)」公式戦真っ只中での現役コーチの職場放棄は前代未聞の出来事だった。

この日の試合開始まではまだ9時間余りあったが鈴木代表は山内監督に事の顛末を告げた。「ええ?彼が辞めるなら私も辞めざるを得ない」と山内監督。この頃の中日は負けが込んで苦しいチーム状態であったが、よくある話でそういう時に決まって作られるのが不満の捌け口としてのスケープゴート。今季はある某コーチ一人に選手間の批難が集中した。いたたまれなくなった某コーチは「私が辞めてチーム状態が良くなるのなら…」とチームを去る決心をしたのである。某コーチの職場放棄を一部マスコミが嗅ぎつけて14日の朝刊で『山内監督休養へ』と報道した。具体的な代理監督の名前まで載せたスポーツ紙もあった。騒動は鎮静化する気配はなく球団側も監督交代やむなし、に傾きつつあった。

鈴木代表はコーチは空席でも構わないが監督は代理が必要になると判断し一軍スタッフに加えて二軍スタッフも含めて代理候補を思い浮かべた。浮かべては消し、消しては別の人物を思い浮かべた。やがて一人の人物に行き着いた。ちょうどその時、部屋のドアをノックする音がした。本田マネジャーだった。「代表、大丈夫です。〇〇さんはもうすぐ来ます(本田)」と。この日(6月14日)の試合は無事行われた。郭投手と尾花投手(ヤクルト)の投手戦となり残念ながら試合には負けたが、勝敗よりもチームが瓦解しなかった方が重要だった。現在は山内監督の下、選手・スタッフ一丸となり来季に向けて頑張っているので今更コーチの名前を明かす必要はないだろう。だがチームが空中分解の瀬戸際まで追い込まれたのは紛れもない事実である。
コメント
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