酒井にだけは負けない:久保康生(柳川商➡近鉄・18歳・179㌢・74㌔)
酒井(ヤクルト)に対するライバル意識は大変なものだ。分かりやすいのが契約金。「酒井君が手取り三千万円を貰うのなら久保君は彼に投げ勝った事もあるのだから、それに近い金額であってしかるべきではないか」と久保投手の後援会会長は言う。それが理由かどうかは不明だが近鉄は当初の二千万円から二千四百万円にアップした経緯がある。あくまで大人の事情の話で久保本人に関わりはないが、根底には酒井に対する過剰なまでの対抗心があるのは間違いない。
柳川商は春から夏の甲子園大会予選が始まる前まで36連勝という驚異的な白星街道を突っ走った。そして37連勝目に大きく立ちはだかったのが海星高の酒井だった。酒井は以前に打ち崩した時とは別人のように成長していた。酒井は立花選手(クラウン1位指名)、末次選手(日ハム3位指名)を揃えた柳川打線を見事に抑えた。柳川商は夏の予選を勝ち抜き甲子園大会に出場できたが、久保本人は甲子園での敗戦より酒井に練習試合で投げ負けた方が悔しさ倍増なのだ。「酒井はセ・リーグ、僕はパ・リーグと別れたけど同じ高卒ルーキーとして彼にだけは負けたくない(久保)」と悔しさを忘れていない。
【 550試合・71勝62敗30S・防御率 4.32 】
度胸のいい一人っ子:山崎隆造(崇徳高➡広島・18歳・177㌢・74㌔)
一人っ子は精神的に弱いというのが世間の通り相場である。両親や祖父母が可愛がり過ぎて過保護になるからというのが通説で事実、その手の事例は多々ある。競争に勝ち抜くのが全てのプロ野球の世界で一人っ子が大成した例は少ないが、山崎選手はそれを覆すかもしれない。崇徳高は昭和51年のセンバツ大会で優勝したこともあり、野球部員も大量に増えて夏の予選が始まるまで全国各地の強豪校から練習試合の申し込みが殺到し、毎週日曜日は各地に遠征するなど大忙しだった。
増えた新入部員のケアやエースの黒田投手や捕手の応武選手など個性派選手をなだめたり、時に脅したりしてチームを一つに纏めるのは並のリーダーシップでは難しいが山崎は主将として成し遂げた。それだけ性格も粘り強い一方で割り切りの早さも兼ね備えている。「ドラフト前は大学進学を考えていた。もし指名されても下位指名か良くて3位くらいだと自分では思っていました。だったら大学へ行ってもっと実力をつけようと考えていたのですが、1位指名だったので急遽プロ入りに気持ちを切り替えました」と現代っ子の一面もある。
【 1531試合・1404安打・88本塁打・打率 .284 】
貴重な左の実力派:益山性旭(帝京大➡阪神・22歳・182㌢・74㌔)
中央球界には馴染みのない首都大学リーグに属する帝京大で31勝をマークしたが、大学選手権や日米大学野球で登板することが無かった為に知名度は低く、専ら玄人筋でその名が注目された投手だった。出身は大阪福島商。高校時代から左腕から繰り出される速球が評価されて大洋に4位指名されたが入団を拒否して大学へ進学し、1年生の秋から頭角を現した。「現在は首都リーグの試合は土・日にやるけど2年前までは神宮第二球場で平日開催。通うのが大変だったけど益山君は見ておかないと」と話すスカウトは多かった。
益山投手は帝京大学から初めて誕生したプロ野球選手だ。「目標は近鉄の鈴木啓二さんのように速球で打者を抑えつけられる投手になること。身体が細く体重も軽いので、よく食べて走り込みをしてキャンプインまでに少しでもプロ野球選手らしい体格にしたいです」と初々しい。現在の阪神で頼れる左腕投手が山本和投手ひとりなので益山にもチャンスはある。ドラフト1位指名選手の中では12番目とドン尻だったが、意外と一軍デビューは一番早いかもしれない。
【 167試合・11勝27敗1S・防御率 4.63 】
芯の強いエリート:赤嶺賢勇(豊見城高➡巨人・18歳・176㌢・71㌔)
人気の面ではサッシーこと酒井投手に負けていない。赤嶺投手は那覇市で久米自動車を経営する一家の末っ子として経済的にも比較的恵まれた生活を送ってきた。沖縄県人は日本人平均より体格は小柄の部類に入るが、赤嶺も上背は175㌢とプロ野球選手としては華奢だ。だがその華奢な身体で甲子園に出場して習志野高校を完封したり、敗れたとはいえ原選手率いる東海大相模高と互角に戦った姿に多くの高校野球ファンが熱烈な声援を送った。巨人入りしてその人気は更に増すことになるであろう。
だが赤嶺は相当なはにかみ屋でマスコミ嫌いだ。2年春・3年春夏と三度甲子園のマウンドを踏み、赤嶺人気は頂点に達したがその時のマスコミ攻勢、写真攻勢、女子学生の猛烈なアタックに悩まされた。12月20日の入団発表の席で記者から苦手なモノは何か、と問われると「マスコミです」と答えたほどだ。性格は真面目で豊見城高野球部の栽監督によれば「(沖縄いちの繁華街である)国際通りに一度も遊びに行ったことがないくらい真面目な生徒」らしい。
【 4試合・0勝0敗・防御率 3.86 】
無名の燃える男:生田裕元(あけぼの通商➡中日・20歳・184㌢・75㌔)
昼間は生活必需品や海産物を団地の奥様相手に訪問販売をする「あけぼの通商」という会社を知る人は多くないだろう。昭和52年から九州社会人野球連盟に加盟しているあけぼの通商野球部は会社が丸抱えで練習できる場を提供する従来型の社会人野球とは一線を画す野球部だ。部員が自らの手で稼いだお金で練習したり遠征を行なうシステムを採用している。そんな厳しい環境下でも過去に3人のプロ野球選手を輩出し、今回の生田投手が4人目となる。
島原中央高を卒業する前に巨人の入団テストを受けたが結果は不合格。野球を諦めることが出来ず、食うことの難しさと野球好きが生田を成長させた。「野球を諦めずに続けてよかった。巨人戦に勝利して僕を不合格にした巨人を見返したい」と話す生田は静かに燃えている。かつて巨人入りを熱望しながらもドラフト会議で無視されたことを自分の糧にして巨人キラーになった星野投手のように " 二代目・燃える男 " を襲名する日も近いかもしれない。
【 一軍出場機会なし 】
福本以上の脚力:松本匡史(早稲田大➡巨人・22歳・180㌢・73㌔)
東京六大学連盟の通算57盗塁、昭和49年春のリーグ戦15盗塁と俊足を看板に引っ提げての即戦力である。デーブ・ジョンソン選手とは契約更新せず、二塁手のレギュラー争いに加える為に獲得した松本選手。確かに足だけなら盗塁王・福本選手にも劣らぬモノを持っている。たがそれには怪我なくシーズンを送れたらという但し書きが必要となる。大学卒業後に日本生命に就職を決めた裏には本人も周囲もプロ入りに慎重にならざるを得なかった理由があった。
脱臼癖のある左肩の状態だ。報徳学園在学中に発症したのだが頻発するようになったのは大学入学後だ。実に7回も脱臼に襲われていて心理的、肉体的にも影響は打撃に現れた。左肩を気にする余り右打者として大切な左手首の返しがスムーズに行えない。内角球を上手く捌けないのだ。大学2年の春に2割6分8厘を打ったのが最高で以降は下がる一方。大学通算は2割3分台と低迷した。逆にそれだけの低打率であの盗塁数は凄いとも言えるのだが。巨人系列の報知新聞が盛んに松本を盛り立てるが過度の期待は松本を苦しめるだけだろう。
【 1016試合・902安打・29本塁打・打率 .278 ・342盗塁 】