巨人の対抗馬、いや巨人を圧倒してくれるはずの阪神だった。確かに不運なことも多かったが、大きく水を開けられるとまたぞろ無気力な面が出てはいないか。まだ戦いは終わっていない。伝統の猛虎の意地にかけて阿修羅のように暴れて欲しいものだ。
200発打線が泣くネコの阪神
それは甲子園球場を高校野球に明け渡した " 死のロード " の最中の出来事だった。山内コーチが遂に愚痴をこぼしたのは対中日3連戦(西宮球場)を1勝2敗と負け越して、死のロードを半分終了し2勝6敗となった8月14日の試合後だった。「覇気がないんや。やる気が有るのか無いのかサッパリ分からん。うだるような暑さでもスタンドで多くのファンが応援してくれる。そんなファンのことを思ってプレーしてる選手はおるんやろうか…多分おらんやろ」とため息をついた。吉田監督も「星野に6連敗もするなんて…気合いが入っていない証拠や」と笛吹けども踊らないナインにお手上げといった様子だ。
100試合を消化しないうちに首位巨人に10ゲームも離されたのは6年ぶりのこと。5位に沈んだ昭和46年の村山監督時代に8月下旬に首位巨人と4位阪神との差が11.5ゲームとなって以来だ。昭和39年以来、13年も遠ざかっている優勝という悲願に向かって力強くスタートした今シーズン。「すべてを勝利に」のスローガンを掲げた吉田監督は就任3年目の今年にすべてをかけた筈だった。" 200発打線 " という12球団トップの破壊力を持つ強力打線をバックに古沢・江本・谷村・上田次投手ら完投能力を持つ先発陣と山本和・安仁屋投手のリリーフの切り札2人を配置し「優勝できるスタッフと条件は揃った」と吉田監督は胸を張って開幕を迎えた。それがどうだ…
まさかこんなに早く後退するとは
あれから半年、猛虎のイメージとは程遠く「借りてきたネコ」状態で彷徨っている。吉田監督は敗北宣言こそしていないが日頃の冗談もめっきり減った。つい最近まで阪神番記者に「ウチがコロコロ負け続けて書くことも無くなったんじゃないの」「あまり負け過ぎるとシーズンオフにあんたらが走り回らんといかんようになるから楽させるようにそろそろ頑張らんと」など軽口をたたいていた。だが8月15日からの対大洋、巨人6連戦の静岡・東京遠征では報道陣を避けて口をへの字に結んだままだった。
誤算だらけのシーズンだったかもしれない。開幕のヤクルト戦で満塁アーチを放ち華々しいスタートをきった若トラ掛布選手の死球禍が最初のアクシデントなら、次は成長著しい佐野選手が外野フェンス激突し頭蓋骨骨折の大怪我で戦線離脱。さらにラインバック、ブリーデン選手の両助っ人も怪我で欠場する試合も増えた。とどめは主砲・田淵選手の死球でまさに故障者続出の5ヶ月だった。7月下旬の巨人3連戦(甲子園)で勝ち越して遅まきながら8月反攻を唱えたとたんに古沢投手ら先発4本柱がKOの連続で出鼻をくじかれた。
ファン無視のシラケたチーム事情
負けが混んで来れば複雑なチーム事情がムクムクと頭をもたげてくる。7月13日の大洋戦で田村投手から右親指に死球を受け、亀裂骨折で全治1ヶ月の診断をされた田淵選手の言葉がふるっていた。「これでまた給料を下げられてしまう」と。選手個人としては理解できるが、そこは本心でなくてもいいから選手会長としてこれからのチームを心配する発言をしてもらいたかった。8月12日の中日戦で1ヶ月ぶりに復帰した田淵選手が代打に起用され二塁打を放ちファンから大声援を受けた。だが阪神ベンチはさほど盛り上がらなかった。
代打の田淵選手に交代させられた池辺選手は持っていたバットを力任せにグラウンドに叩きつけ不満を露わにした。しかも翌日の試合から先発メンバーからも外され、その理由を池辺選手は「きのう、あの場面でふくれっ面をしたせいだろうな」と自虐的に語った。田淵選手は翌13日の試合にも代打で出場し今度は左翼席に高々とアーチをかけた。「1ヶ月のブランクさえなければオレも今頃はホームラン王争いに1枚加わっていたのにな」と久々の一発に酔いしれたが、阪神ベンチはここでもシラケたムードに覆われた。
また14日の中日戦に先発登板したものの4回でKO降板した江本投手は「中日打線はちっとも怖くない。谷沢なんかカーブ、カーブで攻めれば簡単に討ち取れる選手なのにサインは真っすぐばかり。それじゃ打たれるわな」と片岡捕手のリードを非難した。だがサインに不服があれば首をふればいいはず。それもしないで打たれたのだから江本投手に片岡捕手を責める資格はない。などなどまたぞろ出て来た阪神の不思議なチーム事情。「ホンマこのチームはよう分からんよ」と外様の山内コーチは困惑顔だ。