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納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
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# 741 記録の意外史 ②

2022年05月25日 | 1977 年 



投手で2年連続MVP
プロ野球史上、投手で2年連続最高殊勲選手(現在の最優秀選手)MVPになったのは昭和14・15年のスタルヒン投手(巨人)、昭和32・33年の稲尾投手(西鉄)、そして藤田元司投手の3人である。昭和32年に巨人に入団した藤田は1年目に17勝して、157票中156票を集め新人王に輝いた。しかし18試合に先発して完投は4試合のみでスタミナ不足を露呈していた。173㌢・64㌔の体型でいかにも体力不足を感じさせたが、翌年は " 2年目のジンクス " など問題にせず29勝を上げた。39試合に先発して24完投。1年目は出来なかった完封も7試合で、3年目も35試合先発して27勝・24完投だ。

この2年間で計74試合の先発の他に42試合の救援登板もあり、まさに大車輪の2年間でその結果が2年連続の勝率1位であり2年連続のMVPだった。それにしても惜しまれるのはこの2年間、僅かの差で防御率1位を逃したこと。藤田の防御率は例年ならタイトルを獲れるレベルのものだったが、昭和33年の防御率1.53は1位金田投手(国鉄)の1.30に及ばず、翌34年は1.33 と前年より良かったが、村山投手(阪神)が1.19という驚異的な数字を残した為にタイトルを逃した。ちなみにその前後の防御率1位は昭和32年は1.63(金田)、昭和35年は1.75(大洋・秋山投手)で、当該2年間だけ異常な防御率だったのだ。


悲劇の影はいつまでも
それでも二度のMVPで慶大、ノンプロの日本石油時代についてまわった " 悲劇のヒーロー " のイメージは一掃されたと思われた。だが悲劇の影からは逃れられなかった。日本シリーズにおける通算2勝6敗が最たる例だ。昭和33年は西鉄との日本シリーズ。第6戦に先発し野武士打線を相手に5安打・2失点で完投したが敗れた。翌34年の相手は南海。第3戦で8回まで2安打・2失点、第4戦でも8回まで6安打・3失点と好投したが敗戦投手に。第4戦の6回に死球で出塁した藤田は南海・杉浦投手を打ち崩せない味方打線に業を煮やして二盗を成功させた。日本シリーズで投手が盗塁を決めたのは藤田を含めて過去3人のみだ。

完封して引退
昭和36年からプレーイングコーチに就任。現役選手として下り坂なのかと思われたが翌37年には防御率第6位に。昭和39年には3位になったが、8勝11敗と負け越したのは不運な黒星が多かったせいだ。11敗のうち何と9敗までが味方打線の得点が3点以下だったのだ。9月12日の国鉄戦は巨人が初回と2回に1点ずつ加点し5回にも2点を追加。これで楽になった藤田は国鉄打線を6安打・無失点の完封勝利。これが藤田の現役最後の登板となり、オフに引退を表明し投手コーチに専任となった。あの400勝投手のカネやんでも現役最後の登板は5回途中・6失点でKOされた。完封で現役生活を締め括った投手は恐らく藤田だけではないか。

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