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# 742 記録の意外史 ③

2022年06月01日 | 1977 年 



3年1ヶ月で100勝
立教大学から南海入りした杉浦忠投手は新人ながら昭和33年の開幕戦に先発投手として起用され、同じく開幕戦に出場し金田投手(国鉄)に4打席連続三振を喫しプロの厳しさを味わった立教大学の同級生・長嶋選手とは対照的に見事に勝利投手になった。プロ初登板・初勝利を皮切りに6連勝し、結局27勝12敗でシーズンを終了し満票で新人王に選ばれた。杉浦にとって2年目のジンクスは無縁で前年と同じく開幕6連勝した後も勝ち星を重ね、38勝4敗・防御率 1.40 で最多勝・防御率1位に輝いた。勝率9割5厘はパ・リーグ記録として現在も破られていない。

3年目も躍進は止まらず31勝して通算96勝。昭和36年5月6日の西鉄戦で早くも通算100勝を達成する。昭和33年4月3日の初勝利の日から3年1ヶ月と2日目での100勝達成は歴代1位のスピード記録である。100勝までに実に16年3か月を要した権藤正利投手(大洋➡東映➡阪神)のような例を挙げるまでもなく杉浦の記録は異常とも言える早さだった。しかし昭和40年に右腕の動脈閉塞という奇病に罹ってからは往年の威力も失われ、6年間で23勝のみに終わった。それでも通算187勝は寿命の短い下手投げ投手としては、221勝の皆川投手(南海)、193勝の秋山投手(大洋)に次ぐ歴代3位である。


日本シリーズ4試合4勝
杉浦の快速球が最も威力を発揮したのはプロ2年目のシーズン後半だった。9月15日からシーズン終了まで54回 2/3 を無失点に抑えた。前年に金田正一投手(国鉄)がマークした64回 1/3 無失点には及ばなかったが、実は杉浦はその無失点記録の前にも8月26日から9月9日にかけて43回を無失点に抑えていただけに金田の記録を大幅に更新していてもおかしくはなかった。被本塁打も8月23日の大毎戦で榎本選手に打たれて以降、シーズン終了まで93回 1/3 打たれていない。しかもその間、奪三振95・四死球6・自責点は犠飛による1点のみで防御率 0.10 と驚異的な投球内容で13連勝を記録した。

セ・リーグを制した巨人との日本シリーズでも杉浦の快投は続く。第1戦に先発した杉浦は8回まで投げて勝利。第2戦も5回から救援登板して2試合連続で勝利投手に。第3戦に再び先発して今度は完投勝利。翌日は雨天中止となり、中1日で第4戦に先発して5安打完封勝利。杉浦は一手に4勝を記録して、日本シリーズ出場五度目にしてようやく南海を日本一に導いた。日本シリーズにおいて4試合4連勝を実現したのは、この昭和34年の杉浦の他にはいない。


無安打無得点ならず
プロ野球史上に残る大投手の多くがそうであったように杉浦もまた遂にノーヒットノーランを達成することなく終わってしまった。昭和33・34年の全盛期でも無安打試合はなかった。杉浦唯一の1安打勝利は昭和39年7月29日の阪急戦だった。2回二死後に早瀬選手に中前打され、しかも野手が打球を後逸し早瀬は三塁まで進塁した。続く岡村選手の2球目を野村捕手がパスボールし、三塁走者の早瀬が本塁に突入するが憤死。結局、早瀬以外に安打や四死球の出塁を許さなかった杉浦は打者数27人のみの準完全試合で勝利した。ちなみにこの完封勝利がプロ生活最後の完封だった。

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