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北海道美術ネット別館

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重兵衛沼は札幌市中央区北4西26の「共栄公園」にあったのではないか

2018年06月11日 23時59分00秒 | さっぽろ川あるき
 この「さっぽろ川あるき」というのは、アートとあまり関係ない、純粋な趣味のカテゴリーです。 


 重兵衛沼は、札幌市中央区北3~4条の西26丁目附近にあったとされる沼沢地である。
 これまで筆者は、この沼の跡が、北3西26であると信じていた。
 下の地図で見るとわかるように、道路の形状が将棋の駒を横倒しにしたような、札幌では珍しい区画になっているからである。

 しかし、2018年6月10日にはじめて現地に赴き、この附近ではなく、もう少し北側の、北4西26にある児童公園「共栄公園」がかつての沼であったことを確信した。




 なぜ、そう思ったのか。

 公園の形状が、きれいな多角形ではなく、外郭が曲線を描いているからだ。

 開発当初から公園用地を確保したのではなく、湿潤さゆえに家を建てたり畑にできなかったりして残された場所を公園にしたためだろう。

 これは桑園公園=下の地図参照=の事情と似ている。




 桑園公園も一部が曲線で囲まれているが、知事公館などから流れる小さな川が合流して沼になっていた場所と一致する。 

 札幌市内で、変わった形をしている緑地や公園は、多くの場合、川や沼が絡んでいる。
 北大植物園しかり、エルムの森公園(北区北26西13)しかり、やちだも公園(中央区北7西23)しかりである。
 中島公園やモエレ沼公園を思い出してもらってもいいかもしれない。



 これまでずっと沼の場所だと思い込んでいた北3西26の、珍しい形状の道路。

 将棋の駒の左肩にあたる位置から、西に向けて、なぞの行き止まり道路がある。
 

 北3西26の中央部、つまり、将棋の駒の先端にあたる部分は、意外と更地が多い。

 この更地が、古い家の取り壊された跡なのか、あるいは、昔から未利用地なのかは、なんとも判断がつかない。


 



 共栄公園の中。
 家の裏手に、なかば隠れるようにして存在している。

 この公園こそが昔の沼地であることは、あらためて検索してみれば、テンポラリースペースの中森さんのブログ「テンポラリー通信」にも記載があるし、札幌の歴史について貴重な証言を載せているエッセーのサイト「札幌古地名考」の「琴似川の巻」にも

円山の古老談によると、「大正の円山は主流2流が並行北流し、北4条西25、6丁目のあたりにあった通称〈重兵衛沼〉にそそぎ、それより北行して村界のヨコスベツ川と合流していた」と、いう思い出が残されている。


と、北4条であることが明記されている。

 なぜ筆者が北3条に「重兵衛沼」があると思い込んでいたかというと、往事の地図に、重兵衛沼が登場しないことも理由である。筆者はこれまで一度も見たことがない。

 先の地図は「札幌歴史地図<昭和編>」(北海道新聞社)に転載された「札幌市公区連合地図」(1940年)を接写したもの。
 現在タワーマンションが立っている場所など北1条から北2条にかけて、三つも沼が載っているにもかかわらず、くだんの重兵衛沼は掲載されていないのだ。



旧円山川、よこちべつ川、そして界川 (2008)
よこちべつ川と旧円山川


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