
(承前)
モエレ沼公園の出口附近を歩いていると、バスが東苗穂方向へ走り去っていくのが見えた…。
一時は、次の「豊畑」まで歩くことも考えた。
豊畑までは歩いて10分近くかかるが、多くの路線の始発・終着点となっており、とりあえずここまで来れば、それほど待たずにどこかへ行く路線に乗れる。
だから、これまで何度か書いているように、「豊畑」発着のバスを、「モエレ沼公園」発着にしてほしいと思うのである。
積雪期は無理だが、夏はバスの回転にも困らない。
豊畑は少なくても1960年代半ばには、この地区での始発・終着点に設定されている(それ以前は資料が手元にないのでわからない)。これだけ札幌の市街地が膨脹しているのに、路線の根本的な見直しが半世紀も行われていないのはおかしいだろう。
さて、バス停「モエレ沼公園東口」まで来ると、次のバスが8分後(先刻乗れなかった便の10分後)に来ると分かり、待つことにした。
夏であれば、バスがモエレ沼公園の中まで入ってくるし、その便がなくても、東口で一緒にバスを待つ人がいるものだが、この季節はさびしい。
なお、東口から乗る系統はすべて東豊線の環状通東駅行きで、1時間に2、3本である。
バスに乗り、豊畑に差し掛かると、ちょうど2本が発車するのが見えた。
1本は「札幌駅前」行き、もう1本は「麻生駅前」行きだった。
これなら、無理にでも豊畑まで歩いて、いずれかのバスに乗ったほうがおもしろかったかもしれない。
なぜかといえば、環状通東駅行きのバスは、えんえんと三角点通をまっすぐ走るのだが、どこまで行っても沿線は、小さな店や医院と、駐車場を備えた大きなスーパーや自動車ディーラーが続き、およそ車窓の変化に乏しいのである。
乗り物から窓の外を眺めるのが何よりも好きな筆者だが、さすがに飽きてしまい、「本町1の2」で降車。
バス停前は、以前畑だったが、さいきんスターバックスがオープンした。
茶廊法邑まで歩き、開店とほぼ同時に入り、絵本「敏男おじさんのひとりごと」原画展を見た(~26日)。
目のほとんど見えない敏男さん(法邑さんのご主人)の生い立ちと日常を、植田莫さんの絵と、軽妙な文章でつづっている。
身障者の悲惨さを涙交じりに訴えるよりも、ひょうひょうとした文章・絵のほうが、じわじわと心に迫るものがある。
1972年に札幌・中島スポーツセンターにピンク・フロイドが来て、敏男さんが感動したという場面がおもしろかった。ピンク・フロイド札幌公演の話も初めて聞いた(そんな一大事を、今までまったく聞いたことがないというのも、なんだかふしぎな気がするが)。喜太郎喜多郎とか、そういうシンセサイザー系の音が、敏男さんは好きなのかな。
時間があればゆっくりしたいのだが、いつものようにそそくさと会場を出る。
環状通東駅から東豊線に乗り、大通へ。
モエレ沼公園の出口附近を歩いていると、バスが東苗穂方向へ走り去っていくのが見えた…。
一時は、次の「豊畑」まで歩くことも考えた。
豊畑までは歩いて10分近くかかるが、多くの路線の始発・終着点となっており、とりあえずここまで来れば、それほど待たずにどこかへ行く路線に乗れる。
だから、これまで何度か書いているように、「豊畑」発着のバスを、「モエレ沼公園」発着にしてほしいと思うのである。
積雪期は無理だが、夏はバスの回転にも困らない。
豊畑は少なくても1960年代半ばには、この地区での始発・終着点に設定されている(それ以前は資料が手元にないのでわからない)。これだけ札幌の市街地が膨脹しているのに、路線の根本的な見直しが半世紀も行われていないのはおかしいだろう。
さて、バス停「モエレ沼公園東口」まで来ると、次のバスが8分後(先刻乗れなかった便の10分後)に来ると分かり、待つことにした。
夏であれば、バスがモエレ沼公園の中まで入ってくるし、その便がなくても、東口で一緒にバスを待つ人がいるものだが、この季節はさびしい。
なお、東口から乗る系統はすべて東豊線の環状通東駅行きで、1時間に2、3本である。
バスに乗り、豊畑に差し掛かると、ちょうど2本が発車するのが見えた。
1本は「札幌駅前」行き、もう1本は「麻生駅前」行きだった。
これなら、無理にでも豊畑まで歩いて、いずれかのバスに乗ったほうがおもしろかったかもしれない。
なぜかといえば、環状通東駅行きのバスは、えんえんと三角点通をまっすぐ走るのだが、どこまで行っても沿線は、小さな店や医院と、駐車場を備えた大きなスーパーや自動車ディーラーが続き、およそ車窓の変化に乏しいのである。
乗り物から窓の外を眺めるのが何よりも好きな筆者だが、さすがに飽きてしまい、「本町1の2」で降車。
バス停前は、以前畑だったが、さいきんスターバックスがオープンした。
茶廊法邑まで歩き、開店とほぼ同時に入り、絵本「敏男おじさんのひとりごと」原画展を見た(~26日)。
目のほとんど見えない敏男さん(法邑さんのご主人)の生い立ちと日常を、植田莫さんの絵と、軽妙な文章でつづっている。
身障者の悲惨さを涙交じりに訴えるよりも、ひょうひょうとした文章・絵のほうが、じわじわと心に迫るものがある。
1972年に札幌・中島スポーツセンターにピンク・フロイドが来て、敏男さんが感動したという場面がおもしろかった。ピンク・フロイド札幌公演の話も初めて聞いた(そんな一大事を、今までまったく聞いたことがないというのも、なんだかふしぎな気がするが)。
時間があればゆっくりしたいのだが、いつものようにそそくさと会場を出る。
環状通東駅から東豊線に乗り、大通へ。
(この項続く)