
今年5月4日の、空知の旅からの、最後の記事です。
滝川市江部乙町が生んだ、戦後を代表する日本画家のひとり、岩橋英遠ゆかりの桜の森に寄ってきました。
エゾヤマザクラの花は終わりかけていましたが、まだ少し咲き残っていて、楽しむことができました。
この森には公式サイト( https://eien-hokushin.org/forest/ )が存在します。
それによると、年表の1987年の項に次のように記されています。
その後、英遠は1999年に96歳で死去するまで、江部乙中学の生徒たちと桜を植えたり、地元に寄付したりと、なにかとふるさとの桜を気に掛けていたのでした。


入り口の小さな石碑には、岩橋英遠のつぎのような言葉が刻まれています。




過去の関連記事へのリンク
■1920's-1930's 三岸好太郎が生きた時代 (2022)
■山川草木 美は自然に宿る (2020)
日本経済新聞が「北海道の日本画 十選」を2019年11月27日~12月11日に連載
岩橋英遠の下絵やスケッチ、滝川市に寄贈 (2018)
【告知】特別展 気象と芸術 空もよう・色もよう・心もよう (2013)
【告知】北海道銀行創立60周年記念 北海道銀行コレクション展(2011)
新聞、岩橋英遠、公共的・共同的なるもの (2009)
滝川市江部乙町が生んだ、戦後を代表する日本画家のひとり、岩橋英遠ゆかりの桜の森に寄ってきました。
エゾヤマザクラの花は終わりかけていましたが、まだ少し咲き残っていて、楽しむことができました。
この森には公式サイト( https://eien-hokushin.org/forest/ )が存在します。
それによると、年表の1987年の項に次のように記されています。
岩橋英遠 「昔、9丁目にあったような桜並木をつくりたい。小中学生が山にある桜の実を拾って育ててくれるのが一番なのだが」と早弓房松に相談する。 滝川市農業改善センター前庭に岩橋英遠がエゾヤマサクラなどを植樹。 江部乙町桜並木保存会(早弓房松会長)が江部乙神社などにエゾヤマサクラ50本を植樹。 岩橋英遠、市へ桜植樹のため寄付。
その後、英遠は1999年に96歳で死去するまで、江部乙中学の生徒たちと桜を植えたり、地元に寄付したりと、なにかとふるさとの桜を気に掛けていたのでした。


入り口の小さな石碑には、岩橋英遠のつぎのような言葉が刻まれています。
ふるさとは
山でも川でもない事が
分かって来ました
自分の過去を
記憶して呉れる人々の
住んでいる処 それが
ふるさとです




過去の関連記事へのリンク
■1920's-1930's 三岸好太郎が生きた時代 (2022)
■山川草木 美は自然に宿る (2020)
日本経済新聞が「北海道の日本画 十選」を2019年11月27日~12月11日に連載
岩橋英遠の下絵やスケッチ、滝川市に寄贈 (2018)
【告知】特別展 気象と芸術 空もよう・色もよう・心もよう (2013)
【告知】北海道銀行創立60周年記念 北海道銀行コレクション展(2011)
新聞、岩橋英遠、公共的・共同的なるもの (2009)