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北海道美術ネット別館

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■生誕100年記念 砂田友治展 (2016年4月29日~6月26日、苫小牧)

2016年06月26日 23時50分03秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 苫小牧生まれの洋画家で、戦後の道内画壇で活躍した砂田友治(1916~99)の回顧展。

1.残念な展示


 筆者が知る限り、1998年に神田日勝記念館(現・神田日勝記念美術館)に隣接する町民ホールで、2002年に道立近代美術館で、それぞれ大規模な展覧会が開かれているほか、2004年に、今回の会場の前身である苫小牧市博物館でも個展が開かれているらしい。筆者は98年と2002年に見ているが、基本的にはそのときと同じく、「北海の男たち」「王と王妃」「露風も歩いた此の道-修道院への道-」といった代表作を網羅した構成である。何がしか、新しい要素が展覧会に加わっているとすれば、苫小牧での開催とあって、郷里との関わりについていささかくわしく触れており、独立美術や全道展などに出していた作品とは異なる、いくらか写実的な画風の「勇払原野」などにもしっかり目配りしていることだろう。

 また、この展覧会のヤマ場といえば、道立近代美術館所蔵の「北海の男たち」と、同工異曲の「北海の男たち II」(苫小牧市美術博物館蔵)と「北海の男たち(3)」(個人蔵)が3点並んだ箇所だろうと思う。
 いずれも、北海道で漁業に生きる男たちに着想を得て、朱色の肌をしたたくましい男たちを荒々しい筆遣いと厚塗りで描いた迫力たっぷりの作品。昔は、団体公募展に複数の作品を出すのは常識であり、この3点も同じ年の独立美術の審査に付されて、道立近美蔵の作が最高の票を得て、晴れて独立賞ということになった可能性もある。

 ところが、この3点を見比べてみようと思って、少し後ろに下がって壁面を見渡してみると、絵の前に張られた結界の白い線が目に入ってしまい、どうにも避けることができない。今回の展覧会は、ほぼ全作品の前に白いロープのようなものが張られて、鑑賞者の接近を妨げているのだ。監視員を十分に配置する予算のない地方館の事情はわからないでもないのだが(それでも、白い線を床に引いたり、板などを絵の前に敷き詰めて床の高さを変えたり、結界のロープを床の近くにまで低くしたりといった、もっとスマートなやり方はあるようにも思われるのだが)、とくにこの一角で、絵の下辺よりもはるかに高い位置に白いロープを張り渡すという神経がよくわからない。来訪者に、良い状態で鑑賞してもらいたいという配慮が感じられない、残念な展覧会だった。


2.知的な処理


 いま代表作と書いたが「北海の男たち」がやはり1960年代前後の洋画壇を席捲したアンフォルメル旋風の影響を受けていることは否定できまい。ぼろぼろと崩れ落ちそうなほどに分厚く盛り上げられた絵の具などは、当時の流行なのだろうと思う。
 砂田らしさが前面に出てくるのは「王と王妃」などの後で、ご本人もたしか「日本一輪郭線を太く描く」などと自称しておられた。

 ただ、今回久しぶりにこれらの絵と対面して、あらためて感じたのは、非常に生まじめな砂田の姿勢である。
 構図はほとんど完璧なX型が多い。複数の人物が直線的に処理されていることからもそれはただちに見て取れる。
 気持ちのおもむくままに筆を走らせたという感じはまったくない。感情や官能の高ぶりが絵筆を奔放に走らせている部分もない。非常に計算だてて、知的な処理によって画面が構築されているように思う。

 しかし、非常に余計なお世話かもしれないが、それって、描いてて楽しかったんだろうか?

 いろんな画家のタイプがあるだろう。奔放に筆を走らせてもそれがかえって魅力になる画家もいれば、計算を非常にしっかりやっていながらそのことを画面では悟らせないようにする画家もいるだろう。
 砂田さんは道教大で長く教壇に立っていたから、教育者的な面が強く出るタイプだったのかもしれない。構図の勉強は一生かけてやるものだと、後進たちに身をもって示していたのかもしれないと思った。

 
3.生まじめさ


 最後の部屋の資料コーナーが興味深かった。
 砂田の原画(所在不明)によって、たくぎん(北海道拓殖銀行、1998年破綻)最後のカレンダーが制作されたことにも触れてあった。

 1980年代の全道美術協会(全道展)の会合の写真もあった。
 北1西2の「大和屋」ではないかという気がするが、そこに集まっている会員たちの名は…

  渋谷栄一 谷口一芳 久守昭嘉 伏木田光夫 本田明二 砂田友治 池田正之助 渡会純价
  八木保次 国松登 小川洋子 小川マリ 鎌田俳捺子 竹岡羊子 八木伸子 尾崎志郎

 いまも健筆をふるっているのは伏木田、渡会、竹岡の3氏のみだ。

 「1991年3月、独立展北海道展で出品者とともに」と題された写真もある。

 そこに名が附されているのは、砂田をはじめ、輪島進一、高橋定敏、竹岡羊子、大地康雄、木村富秋の計6氏であるが、どうみても、川本ヤスヒロさんや斉藤嗣火つぐ ほ さんといった面々も写っている。人数が多いため、会員で区切った(=名前を付すのは会員だけにした)のだろうか。

 スケッチブックのコピーの一部がパウチ化されて、自由に手にとって見られるのはありがたい。
 その中に、自らの過食を厳しく戒めた文章があり、ふだんグウタラと暮らしている筆者の目には「何もここまで自分に厳しくなくても…」と思ってしまった。
 以下、長くなるが、引用したい。

小食を実行出来るのなら
大抵のことはやってのけられる

ごまかしも要領のよさも
小食の世界には通用しない
素朴で謙虚な実行だけが
健康への道に通じている

要は偏った減食をしないこと

贅沢のなかでも
食生活の贅沢さ
乱れがその家族の
衰退にかかわっている
粗食 小食自体の心の鍛錬

人やモノを外見や肩書きで判断するな
組織の新生、回復を待つ

(中略)

食欲という大敵に勝つこと


 う~ん、そんなに砂田さんって、太っていたという印象がないんですが…。

 このまじめさが、あるいは作品にも反映しているのかもしれないとは思った。


4.おまけ。1998年の思い出


 おまけとして、98年の展覧会の際に筆者が北海道新聞に書いた展評を写しておく。
 この画家をコンパクトに紹介しているが、これを読むと、自分がいかに20年近くの間、進歩していないということがわかって、自己嫌悪を抱いてしまいます。


<展覧会>砂田友治展 虚飾そぎ人間の存在描く

 独立展と全道展の会員で、道教大教授として多くの後進を育てたベテラン画家の初の回顧展。展覧会が神田日勝記念館に隣接する会場で開かれたのは、砂田が、日勝がかかわっていた二つの公募展の先輩だった縁で、晩年の彼と交流があったことから。

 一九四〇年から昨年までの油彩四十点が並ぶ。画題の大半は裸の人間。衣装も、社会的なしがらみも、虚飾も、一切をそぎ落とした人間存在をとらえようとする姿勢は一貫している。

 初期の写実的な風景画、静物画を経て、五〇年代から六〇年代初めにかけては、荒々しい筆遣いと厚塗りで、裸婦などを重量感たっぷりに表現している。

 一時期抽象にも手を染めるが、六〇年代半ば以降は、原色を取り入れた群像が多くなる。この時期を代表する作品が六五年の「北海の男たち」だろう。群青色の海の前で赤色の肌を生々しくむき出して立つ男たちは、漁師という職業を超えて、普遍的な人間像に迫っている。

 八〇年代後半からは、太い灰色の輪郭で囲まれた人物が中心となり、色彩も青と赤を多用して、より明るくなった。人間に対する視線に、温かさが出てきたことがうかがえる。九三年の「アダムとエヴァ」=写真=は、楽園を追われたというより仲むつまじい男女に見えるし、夫婦と子どもを題材にした「大地のイメージにる」(八六年)は、幸福なイメージでいっぱいだ。人間の最も原初的なきずなである家族というものを、あらためて考えさせられる。

 同時に、かっちりとした画面を構築しようとする剛直な作家の意思も見逃せない。とりわけ「十字架降下とレール」(九五年)などの近作は、幾何学的ともいえる作風が支配的だ。今後、ますます簡素で力強い空間構成が強まっていくのではないか-そんな予感を抱かせる。

 砂田は一九一六年(大正五年)苫小牧生まれ、札幌在住。




2016年4月29日(金)~6月26日(日)
苫小牧市美術博物館(末広町3)




・JR苫小牧駅から約1.6キロ、徒歩20分
・道南バス「高速ハスカップ号」(札幌駅前ターミナルが始発、大谷地ターミナルなど経由)で「出光カルチャーパーク」降車(片道1310円。乗車時間始発から1時間31分、大谷地から約1時間)


砂田友治展 人間原像=生へのオマージュ (2002、画像なし)


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