
ということで、5カ月間見られなくなるので、5月31日の閉館10分前に飛び込んできました。
これまでこのブログでは紹介していなかったのですが、2階ホール内に、昨年秋にクラーク博士の彫刻が設置されたのです。
札幌市時計台のサイトによると、次のようになっています。
(以上、引用)
当初は時計はなく、ホイーラー教頭が同年に米国ニューヨークの業者に発注したものです。
届いた時計が大きすぎ、一時は別の建物に設置する案もあったそうですが、鐘楼を改造して1881年に取り付け工事が完了しました。
1903年(明治36年)、札幌農学校は、現在の北区の敷地に移転しますが、時計台は残ります(正確には、いまの北2条側にあり、札幌区が南側の現在地に曳き家した)。
クラーク博士の彫刻は、2017年10月16日、木製ベンチの向かって左端に腰掛けるように置かれています。
横にすわって、一緒に記念撮影できるようになっています。
そのときの北海道新聞によると
「合成樹脂製で高さ135センチ。時計台を管理運営する「エムエムエスマンションマネージメントサービス」(札幌)が200万円かけて作り、市に寄贈した」
とのことですが、肝心の作者名が書かれていません。
毎日新聞には
「製作に携わった藤崎俊一さん(70)=札幌市=は「時計台の外観だけではなく、ぜひ中に入って札幌の歴史に触れ、像に親しんでほしい」と話した。」
とありますが、この藤崎さんが作者なのかどうかははっきりしません。
いろいろ検索すると「リアルエコノミー」というサイトに
「制作したのはオリジナルフィギュアなどを専門にしている造形BLOCK(札幌市北区)」
と書いてありました。

札幌のクラーク像といえば、北大構内の胸像(田嶼碩朗作)と、羊ケ丘展望台の「丘の上のクラーク像」(坂坦道作)が知られています。
これら二つは作者名がはっきりしているのに、近年はこういう記事で、作者名への記者の関心が薄いことが気になります。
よく考えてみれば、クラーク博士は羊ケ丘となんの関係もないし、北大が現在地に移ったのはクラーク博士が札幌を去ってから何年も後のことです。
彼の像が、彼が勤務していた時代の札幌農学校のあった地に設置されるのは、理にかなったことだといえるでしょう。
なお、記事に樹脂製とあるとおり、これは銅像(ブロンズ像)ではありません。
銅像だったら重すぎて、ベンチの上にのせたらシーソーのように傾くでしょうし、時計台は木造建築なので、床を踏み抜いて下の階に落下するおそれもあります。
もう1点。
どうして、観光のかき入れ時にわざわざ工事をするのかな~と疑問を抱いていたのですが、6月1日付の朝日新聞北海道面には、寒暖差の激しい冬の工事が難しいことについて書かれており、やむを得ないのだなと思いました。
楽しみにしていた観光客から「あらら、閉まっている!」とガッカリされるかもしれませんが。
これまでこのブログでは紹介していなかったのですが、2階ホール内に、昨年秋にクラーク博士の彫刻が設置されたのです。
札幌市時計台のサイトによると、次のようになっています。
時計台、正式名称は「旧札幌農学校演武場」
札幌農学校は、北海道大学の前身で北海道開拓の指導者を育成する目的で1876年(明治9年)年開校しました。演武場(時計台)はクラーク博士の提言により、農学校生徒の兵式訓練や入学式・卒業式などを行う中央講堂として1878年(明治11年)に建設されました。
(以上、引用)

届いた時計が大きすぎ、一時は別の建物に設置する案もあったそうですが、鐘楼を改造して1881年に取り付け工事が完了しました。
1903年(明治36年)、札幌農学校は、現在の北区の敷地に移転しますが、時計台は残ります(正確には、いまの北2条側にあり、札幌区が南側の現在地に曳き家した)。
クラーク博士の彫刻は、2017年10月16日、木製ベンチの向かって左端に腰掛けるように置かれています。
横にすわって、一緒に記念撮影できるようになっています。
そのときの北海道新聞によると
「合成樹脂製で高さ135センチ。時計台を管理運営する「エムエムエスマンションマネージメントサービス」(札幌)が200万円かけて作り、市に寄贈した」
とのことですが、肝心の作者名が書かれていません。
毎日新聞には
「製作に携わった藤崎俊一さん(70)=札幌市=は「時計台の外観だけではなく、ぜひ中に入って札幌の歴史に触れ、像に親しんでほしい」と話した。」
とありますが、この藤崎さんが作者なのかどうかははっきりしません。
いろいろ検索すると「リアルエコノミー」というサイトに
「制作したのはオリジナルフィギュアなどを専門にしている造形BLOCK(札幌市北区)」
と書いてありました。

札幌のクラーク像といえば、北大構内の胸像(田嶼碩朗作)と、羊ケ丘展望台の「丘の上のクラーク像」(坂坦道作)が知られています。
これら二つは作者名がはっきりしているのに、近年はこういう記事で、作者名への記者の関心が薄いことが気になります。
よく考えてみれば、クラーク博士は羊ケ丘となんの関係もないし、北大が現在地に移ったのはクラーク博士が札幌を去ってから何年も後のことです。
彼の像が、彼が勤務していた時代の札幌農学校のあった地に設置されるのは、理にかなったことだといえるでしょう。
なお、記事に樹脂製とあるとおり、これは銅像(ブロンズ像)ではありません。
銅像だったら重すぎて、ベンチの上にのせたらシーソーのように傾くでしょうし、時計台は木造建築なので、床を踏み抜いて下の階に落下するおそれもあります。
もう1点。
どうして、観光のかき入れ時にわざわざ工事をするのかな~と疑問を抱いていたのですが、6月1日付の朝日新聞北海道面には、寒暖差の激しい冬の工事が難しいことについて書かれており、やむを得ないのだなと思いました。
楽しみにしていた観光客から「あらら、閉まっている!」とガッカリされるかもしれませんが。
今度、見てきます。