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北海道美術ネット別館

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池上英洋「西洋美術史入門」と、高校生たちの「歴史」に対するイメージ

2012年06月19日 23時06分01秒 | つれづれ読書録
 最初におことわりしておくが、このエントリは、池上英洋著「西洋美術史入門」(ちくまプリマー新書)の書評というよりは、本を読んで考えたことをつづった文章である。

 くだんの本は、高校生にもわかるようにとの思いがこめられているので、非常にわかりやすい。
 そして、「西洋美術史」そのものを、古代から現代まで順々に説明するページは、巻末に簡略にまとめ、美術史という学問のあり方や、方法論の基礎をまずくわしく説明しているのが、最大の特徴である。
 たしかに、美術の歴史は、世界史の教科書を読んでも大略はつかめるし、概説書も何冊も出版されている。
 しかし、美術史という学問について平易に書いた類書はほとんどない。そう考えると、とても意味のある一冊だといえる。

 オープンキャンバスなどの場で、大学准教授である著者が高校生に、西洋美術史という学問のイメージを尋ねると、美術家や作品名を暗記する-という答えが返ってくるという。
 この経験が、作者をして、たんなる美術の歴史解説ではない本を書かせたのだろう。
 そして、高校生がそう答えることに、複雑な気持ちを抱く。



 はるかな昔、自分が高校生だったころも、大学受験とは、かなりの部分、暗記した知識の量を問うものであった。
 とりわけ、私立大の歴史などは、その傾向が著しく強かった。
(なお、東大や京大の日本史や世界史は、●●について200字で述べよ、というような問題が三つほどというシンプルなものだった。さすが)

 自分はひねくれ者であったので、暗記のための暗記をするのが、ものすごくいやであった。
 受験体制に加担するように思われたからである。
 世界史の授業では、ノートをまったくとらず、教師の話を黙って聞いていた。

 いまでもおぼえているが、3年生のテスト直前のある日、参考書か何かを見ながら問題を出しあっこしていた3人ほどの男子が、通りがかった自分にも問題をふってきた。

「ねえ、ヤナイ、ナントの勅令って何年だ?」
「そんなの知らないよ」
「え、お前、世界史で受験するんだろ? それ、やばくない?」

 自分は内心、そんなのは無意味だと思っていたし、いまでも思っている。
 ナントの勅令が何年かを丸暗記するよりも、ユグノー戦争、サン=バーソロミューの虐殺、アンリ4世即位、ナントの勅令の順番を、フランス近世史の流れの中で、理由をつけて覚えておくことの方がはるかに重要だと思っていたし、いまでもその考えは変わらない。

 もちろん、フランス革命の勃発した年とか、2度の世界大戦が起きた年くらいは、いやでも覚えてしまうものだし、基礎的な知識はやはり暗記が必要になってくるのだが、こまごまとした事項と年号を機械的に覚えてしまったところで、当座の受験はしのぐことができたとしても、その人の血や肉となり、教養となることは、ないだろうと思うのだ。


 …と、ここまで書いてきて、ちょっとかっこつけすぎかもしれないという気もしてきた。

 しかし、あれから長い年月がたつのに、大学入試の問題って、いまでも暗記中心なのだろうか。
 なんだか、暗然たる思いだ。

 もっとも、AO入試や推薦入試が増えて、暗記すらしない大学生が増えている現状を思うと、さらに、やれやれという気持ちになるのだが。


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