今日はブログに書く(ネタ)がない。
あるには、あるのだけれど、文章が長くなりそうだから、考えただけでいやになった。
俳句365日で去年の今頃、入選をした句。
冬至粥修行の雲水遠ざかる
しあわせな俳句三昧冬至粥
冬至粥若き渡りの説教師
猪鍋や宿に巡らす杉襖
猪鍋や問わず語りの山暮らし
冬の鵙猿坂峠越せば阿波
あすなろう冬の鵙鳴く廃校舎
大釜に湯気たつ庭や冬の鵙
しりとり俳句があるのを、知らなかったときは、もっぱら、夏井いつきさんの、俳句365に、投句していた。
一日二句をノルマに、せっせと、できたのを片端から投句。
同じ名前が、いつきさんのお仲間にいたらしく、「貴方はあの 〇 ✕さん」と問われたことがあった。
「違います」と答えた。
気の毒に思ったか?名前を覚えてくださったか、それから(地)に何度か選んでくださった。
しかし、しりとり俳句を始めてから、そっちは留守になってしまった。
毎日、しり取り俳句は12~15投句する。
365 の方は自然にお留守になった。
いつきさんの テレビ番組のプレバトは観ている。
この番組を見るときは、私の頭の中は真っ白にしている。
俳句の初心者の気持で見ている。
写真の場面から、俳句を作るタレントを偉いと思うことも、さすが、と思うこともある。
歌舞伎俳優は昔から、どなたも俳句はたしなむのがあたり前。
名人がいっぱいいらしゃる。
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私の俳句は全般に背景が古臭い。
(数寄屋)と読み込むと、数寄屋橋と勘違いされたり、鍬焼きと思われたり、散々なことに。
(数寄屋)とは 茶室風につくられた建物。(屋)をとると 物事を愛好するこころ持ち。好き好むこと。またそのさま。と書いててある。
風流、風雅の道に深く心をよせること。風流の物好みとも。
女を好むすなわち色好み。
風雅の道、は和歌をたしなみ、茶の湯を極める。
私にはまったく関係の無い世界であるが、数寄屋ときけば、すぐに亰都では、嵯峨野とかひなびた里に建てた隠れ家なぞが想像される。
一番最初に教えをこうた、湘風先生の薫陶かもしれない。
数寄屋橋、鍬焼きではない。若い人は知らないのが当たり前だ。
しり取り俳句をやっていても、私の句は始めた頃のままの、世間知らずの狭い世界でいるから都会派からは、古臭いと思われているに違いない。
と同時に勉強不足はお互いさまと感じることが往々にある。
渡りの背教師なんて、想像もつかないだろう。
今のようにテレビも娯楽も無かった時代、お寺へ全国を仏教の教えを説いて周る説教坊さんがいた。
そんな方を渡りの説教師とよんで、子供の頃はその方が来ると寺へ説教を聞きに云った。
雪ばんば阿弖流為の碑のまえうしろ 葉