老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

露天風呂から見える島

2015-12-16 23:48:31 | 俳句


 今年一番の寒さ。
近くの温泉施設に温もりに行く。
市営の温泉施設でいつ行っても、客は少ない。
市の出先機関のビルの三階に、サウナ、露天風呂があって、二階には、健康機具まで設置されている。
今日は北風が強く、冷えた体に薬湯がありがたかった。
のぼせた頭を冷やしに、露天湯のほうに移る。
ここから右を見ると、映画(世界の中心え愛を叫ぶ)のロケ地げ有名になった、皇子神社と、境内の、あの、ブランコ まで見える。
そして、正面に、ハンセンの病気に罹った人達が療養をしていた大島が見える。
大島行きの舟が運航されていて、ここ庵治港からは20分で行けるそうだ。
私が以前訪れたのは、高松港からで、もっと時間がかかったと思う。

島には、青松園という、病気療養所がある。
この青松園に 詩人、搭 和子氏 がすんでおられた。
昭和18年ハンセン病により入園。11才であった。
平成25年8月 83才で死去。この島で70年間 過ごされた。
詩の芥川賞と言われるH賞候補に3回もあげられたことも。
1999年には 高見順賞を受賞。
2002年 香川県教育文化功労賞。
2004年 第62回山陽新聞賞。

詩集「裸木」に始まり「今日という木を」まで何十冊も出版しておられる。

手を伸ばせば届きそうな近くの島で生涯を閉じられた 搭和子 さんを、不埒にも裸姿でいつもこの三階の露天湯から、偲んでいる。



素晴らしい詩を紹介します。

           「師」             
     
     私は砂漠にいたから  一滴の水の尊さがわかる
     海の中を漂流したいたから   つかんだ一片の木ぎれの重さがわかる
     闇の中をさまよったからかすかな灯の見えたときの喜びがわかる
     過酷な師は  
     私をわかるものにするために 一刻も手をゆるめず
     際限に立ってひとつを学ぶと  
     息つくひまもなく
     また 新たなこころみへ投げ込んだ 
     
     いまも師は 大きな目をむき まだまだおまえにわからせることは
     行きつくところのない道のようにあるのだと
     
     愛弟子であるから私は手をはなさない
     そして
     不思議な嫌悪と 親密さを感じるその顔を 近々とよせてくるのだ 
          (未知なる知者よ)より

 ハンセン病が完治してからも島での生活を余儀なくされ、偏見と向いあい戦った搭さんの魂の叫びが心をうつ。
何度も何度も読み返し、私自身が私の生き方と対峙させられる一片の詩であり、師と仰ぐ詩なのである。
コメント
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