老人雑記

生活の中で気づいた浮世の事

  南無南無~  

2016-04-21 17:21:45 | 俳句

  🐢  思ひ立ち一日遍路犬を連れ   

  

昨日、予約をしていた精進懐石を食べに行った。
某古刹が、人気の精進料理を食べさせてくれると聞いていた。
昨日は方丈に五~六十人が来ていた。
旬彩から始まり、最後に甘ものをいただくまでの時間に二時間かかった。
他のお寺で何度か普茶料理をいただいとことがあるけれど、二時間とは。
一番にとんぶりの入った八寸等々からいただき、これを食べ終えると、少し待たされて次にお凌となる赤米の寿司に、、、、、次、次待たされて、お薄をいただくとたっぷり二時間半。
まるでフランス料理のように、料理はだされるが、食べ終えると少し以上?待たされて説明もなく、次の料理が運ばれてくる。フランス料理だと、材料の説明があったり、どこで捕れたお魚です、お肉は何の肉ですかと、説明もしてくれる、、、が「菜懐石」は結構な会席料理に慣れていない私には、黙って食器を引き上げ、次に説明もなくお皿を並べらてもらってもな~。名前の知らない野菜は、スマホを出して調べる始末。お里が丸見えの品の無い私であった。

       

私達夫婦ともう一方の御夫婦を除くと女性ばかり。きれいに着物を着こなしたグループから有閑マダムのグーループ。毎日予約で満員だそうだ。

弘法大師さまの後ろ姿を見ながら、美しく手入れの行き届いたお庭に来る鳥や蝶々に癒された小半日ではあったが。。。。
私の席からは、お遍路さんが通るのが見える。ご詠歌に混じり、遍路鈴の鳴る音も聞こえてくる。
ここは格のある寺、あたりまえと云えばあたりまえであるけれど、考えさせられたな~。
健康志向で遍路をしている方もいれば、苦しみを背負い、お大師さまに救いをもとめて修行の旅をしている方も。
サロンと化しているこの懐石の店?(そう思えた)
高野山の宿坊に泊まった時の精進料理、あすこの寺とか、あの寺とか色んな機会にいただいた精進料里が甦る。熊本のことが、潜在した意識の中にあって、時に嬌声に近い若い娘さんや婆さまに、日本は広いな、と感じた。平和に難癖をつけては駄目だけれど。
自分だって 極楽とんぼじゃないか。お叱りごもっとも。

人を増やせば、スムースにもっと気持ちよく食事を出して、食事をいただいて、素晴らしいサロンになれるでしょうに。せめてお大師さまの、法話を聞いてもらったり、本堂で手を合わしてもらったり、お寺さまだったら、そのくらいのことことをしたら?余計なお世話ですてさ。

   🍒   をだまきの花ご詠歌の聞こえくる

   🍒   若楓蹲に影ゆれどほし

   🍒   空海の遠まなざしや花は葉に   


お料理のお味は可もなく不可も無し。



コメント
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