Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

「制限」と「抑圧」は違う

2020-05-05 20:24:34 | 国際・政治

「制限」とは→物事に、ある限界を設けること。又、その限界。「抑圧」とは→無理やり押さえつけること。心理学で 不快な観念や表象、記憶などを無意識の内に押し込めて意識しない様にすること。

中国大陸発、新型コロナ・ウィルス肺炎の世界的流行パンデミックに際し、A・グテーレス国際連合事務総長が 当然の事ながら国際社会向けに複数の声明を出されている。共通の敵、新型ウィルスの脅威に立場を超えての共闘を可能にすべく 世界各地の諸々の戦闘行動を少なくとも一定期間は停める事とか、医療態勢が脆弱で より脅威の大きい途上諸国への援護を絶やさぬ事・・などなど。概ね共感でき、一地球人として必要な協力を痛感してはいるが、一部に違和感ある主張あるのも事実。それが・・

今回は前述新型肺炎に関しての発出だが、病気の各方面の影響などにつき、報道各社の取材活動が、各国政府による抑圧を受けぬ様配慮すべきとの意のそれだ。確かにそうした抑圧は好ましいものではないし、我国としても十分に留意すべき事共ではあろう。しかし・・

最初に大まかな意を記したが、この政治権力による恣意的な「抑圧」と、例えば感染防止の為に必要な立ち入りや接近のやむを得ない「制限」がえてして混同される事があるのは、多くの各位に理解を頂けると思う。

先月惜しくも落命された岡江久美子さんが荼毘に付され、夫君・大和田獏さんに伴われて無言の帰宅をされた時の、待機していた報道陣の過剰反応ぶりは常識の度を超えた呆れたものだった記憶は強いだろう。大和田さんの「神対応」ともいえる落ち着いたご対応で大過なかったものの、もう少し故人を見送るに相応しい 冷静で慎ましい対応ができないものだろうか。本当はこの時、大和田家の周囲にやむなき一定の立ち入り制限を施し、報道陣の立ち入りを一定数に抑えるのが好ましい対応だったとみるのは拙者だけではあるまい。

大人数が密集しての取材活動は、伝播力の強い新型肺炎の集団感染を招く恐れのある事は明らかだ。それとも何か、報道各社は悉く「自社局だけは大丈夫」との傲岸な慢心にでも浸かっているのだろうか。岡江さんの訃報を承った時には、既にこいつらの仲間・朝日新聞一味に複数の感染者を生じていたはずだが、特定野党に似て「不都合な真実」にはダンマリか。

前述の様な厳粛な場にての必要な制限に対しても、多くの報道勢力は「不当な抑圧だ!」などと吠ざきやがる。国や各都道府県レベルの 必要な箇所への立ち入り制限は、本当に感染リスクがあるから設けられているのである。その禁を犯す事は、自勢力のみならず、周囲の多数を脅威に晒す事となるのだ。

グテーレス総長の声明は まさかそんな暴挙まで擁護するつもりはないだろうが、報道各社はえてしてそうした己に好意的な声や発言を曲解し、自勢力に好都合な解釈をして危険な暴挙に及ぶ事が度々だ。放っておけば「命よりも特ダネやスクープが大事」との危険な功利志向に暴走しかねない。そこは我々国民市民の読解力リテラシーによって 断固挫かなければならない。

同時に、大地震など様々な災害や大規模な感染症流行に際し、何故色んな制限が設けられるのかを 普段から正しく理解する心がけも必要は認めたい。そうする事で、誤った情報たるデマや嘘(フェイク)・ニュースから身を守る事が可能になるからだ。必要な制限を尊守しない取材活動に「報道の自由」など初めからなく、そうした主張はただの暴言である事を、我々は強く心に留めるべきなのだろう。

1991=平成 3年に生じた長崎・雲仙普賢岳の大噴火では、報道社局複数による無理な取材活動のせいで、関係者のみならず救助を図った警察、消防多数の各位にも多くの犠牲を生じたとされる。又 2011=同 23年の東日本大震災に際しては、民間のヘリコプターを初め航空機材の殆どが報道各社に独占され、相当数の救助活動を支障した事が犠牲を増やした一因ともされる様だ。行政初め、関係各所の対応遅れはあったも、報道側に救命への配慮が希薄だった証左ともいえるのではないか。

この報に接した時、拙者は流石に「こんな不心得で、よくまぁ大口が利けるもの」と呆れかえった記憶がある。報道勢力は「必要な制限」と「抑圧」の区別もできない様な輩が何人もいるらしい事が何となく分かった瞬間でもあった。又、こうした不心得を許しているのが特定野党と「所謂人権勢力」である事も広く知られる所ではないか。

報道は第四の権力に例えられる。そうである以上、折々疑って批判さるべきと言われる政権与党同様、我々は報道各社に対しても同様の「疑う」視線を向け、対峙すべきだろう。ついでにグテーレス総長の声明は、非政府側メディアに抑圧的とされる中国大陸に対してこそ強く向けられるべき事を申し添えておく。今回画像は当地の南郊、大府市内を行く JR東海道線上下列車邂逅の様子を。

コメント (2)
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