Blog~続・トイレの雑記帳

鉄道画像メインの「ゆる鉄写真ブログ」のつもりでしたが、
政治社会の事共について記したくなり、現在に至ります。

雲仙普賢岳火砕流 30周忌、報道メディアは「敗北」を認めよ

2021-06-03 23:45:58 | 社会・経済

日付を跨いでしまうかもだが 6/3は、長崎県下の雲仙・普賢岳にての大火砕流禍から 30周年に当たる。当時の同禍で  報道陣や警戒に当たられた警察・消防、それに世界的火山学者の各位他40人超の犠牲を生じ、負傷並びに家屋建物被害も相当数に上ったと記憶する。改めて、犠牲各位への弔意と被災各位へのお見舞いの意を新たにする所であります。

しかし その事に留意するとしても、前述火砕流に際しての 報道各社の避難勧告をおしての危険かつ無理筋な取材活動が人的被害を大きくした所は間違いないとされ、各社局に対し 国民世論の厳しい批判も浴びせられた様だ。この強い姿勢は 永くメディアに対し向け続けられるべきものと拙者は心得るが、やはりここでも「風化」の問題が付き纏う様だ。

新聞各紙の社説などでも、当時の無理な取材活動を振り返っての反省に一応でも触れたは良いが、30年を経て振り返ってみると、報道各社はその「反省」と骨身に染みて向き合ってきたかといえば、必ずしもそうとはいえないのではないか。所謂「スクープ」と呼ばれる大きな旬ネタを眼前にすれば、又ぞろ「報道の自由」の大義を都合よく解釈して無理な活動正当化を繰り返していないか。この所は各社局の自浄作用だけに期待する訳には参らない事だろう。

放送の BPOなど 第三者機関による審査の途もあるにはあるが、その機能にも限界がある様だとされる。災害報道に際し 最も厳しく問われるべきは、報道各社がどの位 時に予期できぬ「自然の脅威」と謙虚に向き合っているか、一朝事あった場合 真に「自然の脅威」との対峙に敗れた事を素直に認められるかどうかも大きな要素だと心得る者だ。30年の歳月は それはボンヤリしておれば諸事の風化を招く位のスパンだろうが、各社局が本気で「風化させるべからず」と思うなら「自然の脅威」に敗れた事をまず 読者や視聴者、そして国民市民の前に認める事から始めるべきだろう。

それを実行する事なく「反省ガー、教訓ガー・・」などと言葉を並べてみた所で、所詮それは東日本大震災に際し 大原発事故を生じた東京電力と大差ないのではないか。同社もそうした謙虚さに大きく欠けた為に真の意味での反省ができず、又 今後に繋がる有益な教訓も得られずにいるのではないか。拙者は昨年、映画「FUKUSHIMA・FIFTY」を拝見したが、その折にも前述火砕流禍と同様の「自然の脅威を舐めた様な不良姿勢」を大いに感じたものだ。

東京電力の不誠実な不始末と同一視されたくなくば、少しは「自然の脅威に敗れた事実」を謙虚に受け入れ、そこからの反省や教訓に基づいた 犠牲を拡げない報道活動を心がける真摯な姿勢を見せるべきだ。それを軽んじる様な挙は「報道の自由」とは言わず、国民市民も認める事はないだろう。

真の反省や教訓が踏まえられなければ、我国では高めとされる既成メディアの信頼度も、時間を要さず欧米並みの低水準に堕ちる事だろう。今回も思い出画像で恐縮。10年少し前に訪れた、被災地近くの長崎・島原市近くの有明海岸の様子を。通る線路は、当時の被災で長期運休した島原鉄道線。以下に、関連記事をリンク致します。(産経新聞 6/3付) あの日の取材、刻まれた思い 雲仙・普賢岳火砕流30年 本紙元記者が振り返る(産経新聞) - goo ニュース

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