雨の一日となった当地愛知。こんな日は、普段できない家の中の雑用を片づけるのが最善で、拙者も、折から溜まっていた年賀状を概ね仕上げた所。それと、作家 柳田邦夫さんが過日著書の題にされた「雨の降る日は 考える日にしよう」を実行する好機でもある。と申して、中々思うに任せられないのも事実だが、少しは取り組めたら、とも思う所であります。
折しも、国会審議中の、年金制度改革案が話題になっているが、将来に亘る制度維持が欠かせないこの問題、本当に民進以下四党が騒ぎ立てる「ただの年金カット法案」なのだろうか。以下、ネットで見つけたニッセイ基礎研の文献を引用して、見て参りたい。
「研究員の眼~『年金カット法案』という決めつけに、若者は怒れ!」
現在の臨時国会に付されている公的年金の改正法案 (公的年金制度の持続可能性の向上を図るための国民年金法等の一部を改正する法律案) に対して、野党から「年金カット法案」との決めつけを元に、強い批判が示されている。一部に、議論の前提となる数値が十分に提示されていなかった問題もあったようだが、2004=平成16年の財政検証を受けて導入されたマクロ経済スライドの仕組みを強化する取組みは、必ずしも「年金カット法案」とレッテルを貼って貶めるべきものではないと考えられる。どうも野党や一部メディアによる議論は、安全保障関連法案に対して「戦争法案」というレッテルを貼ることによって、国民に十分な検討・議論の余地を与えず、生理的に反対するよう仕向けたのと同様に、短絡的な扇動を行っているようにしか見えない。
何らの前提もなく、年金給付額をカットすると聞かされると、誰でも拒否したくなるだろう。しかし、今回の改正法案の中身をしっかりと確認したい。年金カットと非難される部分は二つのポイントがある。
まず、一点目は、”年金の名目額が前年度を下回らない措置を維持しつつ”マクロ経済スライドについて前年度までの未調整分を実施するというものである。単年度を取ると、物価が上昇した場合でも年金給付額が完全には物価に連動しないため、実質的な購買力を維持できないことになる。しかし、過年度までのマクロ経済スライド未実施分が存在することを考えると、マクロ経済スライドが適用されなかった分、これまでに年金受給者は多めに給付を受けていたことになるのであり、それを後年度に調整するというのは、予め得た超過利得を調整するだけである。しかも、年金の名目額については、前年度を下回らない範囲と適用の限度が設定されているのである。
二点目は、賃金変動が物価変動を下回る場合に、賃金変動に応じて年金額を改定するというものである。賃金変動が物価変動より低い場合に賃金変動に給付を連動させることは、年金受給者の購買力の確保には繋がらない。確かに、既に労働に従事していない年金受給者の多くにとっては、賃金の変動は生活に無関係であり、物価変動による影響が大きいのは事実である。年金受給者には、給付額の若干の目減りという形で、年金制度維持のための実質的な負担をお願いする形になっている。それでも、第一点目の仕組みを前提にすると、物価が上昇している状況で年金給付額は物価に連動するほど上がらないが、賃金に連動する範囲で増加するのである。賃金を現役の労働者の所得と置き換えれば、もっとわかり易いかもしれない。年金保険料の負担者である現役労働者にとっても、物価が上昇しているにも関わらず、賃金は物価ほど上がっていないという状況なのである。現役労働者と年金受給者を公平に扱うという考え方に立っていると考えられるのに、なぜ年金受給者のみを厚遇する必要があるのか。問題は、物価上昇ほど賃金が上昇しないという雇用構造にあり、それは現役労働者の責任ではない可能性が高い。
今回の改正の趣旨は、決して受給者に大きな不利を被らせることが目的ではなく、改正法案の題に明記されているように、”公的年金制度の持続可能性の向上を図るため”のものである。つまり、少子高齢化と人口減少が進む日本において、将来はより高齢者の比率が高まることは必至である。その中で公的年金制度を維持しようとするならば、現在や近い将来の受給者には多少の不利益が及んでも、将来の受給者に意味のある金額の給付を行うための措置が必要になっているということなのである。それでなくても、年金受給額の将来予測を考えると、現在の年金受給者より、生来の年金受給者の方が、相対的に豊かにならないことは、人口構成から見ても明らかである。だから若者たちは、「年金カット法案」に反対するのではなく、積極的に賛成するべきであろう。自分たちの将来の年金給付財源を、現在と近い将来に食い潰されては堪らないのである。
(引用ここまで。文中の「マクロ経済スライド」とは、年金保険料を納める現役世代の人数が減った一方で、年金を受給する高齢世代の平均寿命は延びた。こうした現況に合わせて年金支給を減額する仕組みを言う。物価や賃金の伸びよりも年約1%ずつ伸び幅を抑える事で、年金制度を守るのが狙い)
我々の様な、社会保障の「門外漢」がざっと見ても少しは分る事だが、我国の年金制度は「世代間扶養」が前提であり、年金財源も、その年毎の財源から拠出する「賦課方式」を原則としている。この仕組みは、高度成長期以前の、高齢層が少なく、幼少人口が多めの「ピラミッド型」の人口構成時代は健全に機能したが、核家族化が完全に浸透し、少子化が進んだ現状では、大きくリスクを増したのが実情だろう。
これに加え、1961=昭和36年に国民年金制度が発足した当時の平均寿命は、女性でも70歳以下であり、多くの現役組は、年金受給開始後10年前後で生涯を終えていた。だからこそ、55歳支給開始が叶ったのである。然るに、今はどうだろう。直近の調査では、女性の平均寿命は実に80代後半に達し、我々男でも80歳の大台に乗ったと言い、年金受給期間が20年超も珍しくない。
拙者は決して、長寿など望んではいないが、好むと好まざるに関わらず、不慮の場合を除き、平均ではこれ程の寿命と言うか、余命があると言う事だ。加えて、高齢人口の急増。これでは、公的年金制度が維持できるはずがない。更に、年金受給資格期間を、原則25年から10年に改める法案も通り、受給人口は大きく増える。今回の改正案は、制度の健全な存続の為にも、やむを得ない所があろう。
民共以下四野党が、下等な言いがかりの様に騒ぎ立てる「年金カット法案」とはどこから持ち出した言葉か?と逆に糾したくもなるものだ。政権欲しさの選挙対策に、こんな事共を持ち出しているのなら、それこそ「愚の骨頂」であろう。年金制度も、俯瞰して見た場合どうなのか、と言う所を少しは見るべきとも思うのだが、安倍政権打倒と言う「とりあえずの勝利」しか見ていない低レベル四野党には、まともな社会保障制度を巡る議論をする知力もないのかも知れない。過激勢力の如くに「ただ騒ぎ立てるだけ」なら、最早政党としての体もなしていないと言う事だろう。今回画像は、伊勢神宮近くの伊勢湾・二見ヶ浦を行く、冬のJR参宮線の模様を載せます。