線翔庵日記



おまつり、民謡、三絃、名水、温泉、酒、そして音楽のこと…日々感じたことを綴ります。

真田山長谷寺

2016年05月12日 18時42分30秒 | 歴史
「真田丸」人気で、賑わう上田市真田町。久しぶりに長谷寺を訪ねてみた。

「長谷寺」と書いて、「はせでら」ではなく「ちょうこくじ」と読む。ちなみにこれが松代には「長国寺(ちょうこくじ)」があるのはよく知られている。

さて、ここ長谷寺へは何年ぶりだろう。子供の頃に来て以来で、んん…30年以上かな?(笑)

天文10年(1541)に武田信虎・諏訪頼重・村上義清により小県から上州へ追いやられた真田幸隆。武田信玄の家臣となって、真田の地を取り戻し、領内に古くからあった種月庵という小さな寺に、上州・安中の長源寺から僧を招いて、真田山種月院長谷寺して、三男・真田昌幸によって真田氏の菩提寺となったという。

この寺で有名なものの1つは、アーチ型の石門。

創建当時からあったものといい、1つの岩から切り出されたものらしいとのことです。

そして長谷寺といえば、裏手にある墓所。

中央が真田幸隆公、右側が真田昌幸公、そして左側が幸隆公の正室・恭雲院。

真田の山里の静かなお寺ですが、各地からの観光客で賑わっていた。自分も久しぶりの訪問。再び、真田の歴史にふれ、関連した史跡を訪ねたい!

 
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