妻というのはやっぱりありがたいもので、家で晩飯食うとなると飯台に座っていれば「食いたい夕食」を作ってくれる。
無料だしなぁ。
タンス背負って実家に帰ります、とか妻が言って若いころは喧嘩したこともあった。
タンスはいらんから、子供と貯金通帳だけ残しとけ…アホンダラ。
なんて捨て台詞を言いたかったけど…言えなかった。
というか言わないでよかった。
逃げた女房にゃ未練はないが、逃げる前に野菜を必ず食べること、などと言われたもののウサギじゃないんだから4~5日食わなくても大丈夫だろうとチーズくらいでビールを飲み、やがてワインになり焼酎になる。
もし妻に先立たれると、しばらくはこんな日々になるんだろうなぁ。
やっぱりこっちが先に逝ってしまうべきだな、などと考えてしまう。
余生をいかに過ごすか?、という問題を少しづつではあるが考えだしてきた。
近頃身の回りにおいて、若くして突然逝ってしまう知人が増えたからか、明日は我が身としてとらえなければならない事態となってきた。
老後のことを真剣に考えると、次のようなパターンがあるのではないか。
その1 夫婦は無言無表情
レストランなどで向かい合って座っていても、双方ともほとんど黙っている。
あまりジロジロ観察しているわけにもいかないから瞬間的な推測だが、どうやらお互いに顔を合わせることもないようだ。
永いこと夫婦をしていると、もうあらかた、というか100パーセント話は出尽くしているから、自宅だろうが旅先だろうが「何も話すことはない」というのは当然のことで、そうなると別に旅に出なくてもいいのではないか、と思うのだが、そんなことは余計なお世話なのでした。
その2 服なんかどうでもいいけんね現象
自分の服など買いにいかなくなる。
こういうことはアタクシだけではないだろうが、歳をとると自分の服装なんかどうでもよくなってくる。
その3 老いては笑ってごまかせ
昨日のことは忘れても、40年以上昔のことは鮮明に覚えているのは不思議だ。
古い同級生は姿かたちが変わっても分かるが、付き合いの浅い人にバッタリ出会っても、果たしてどこの誰であったか思いだせない。
話を合わせるため必死に誰か探りをいれるが、老化頭は茫然とし「アハハ」などと笑ってごまかす。
相手を傷つけないためにも大切である。
あんまりいい画がないので今日はこれでご勘弁を…
天心の焼き飯とラーメン
いまだ食欲旺盛であります