はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

住職の言葉

2022年07月05日 | はなこのMEMO
亡き義父母がお世話になっているお寺のご住職は、法話が面白く、分かり易い。幼稚園を経営されているので、普段から園児やその保護者に対しても、分かり易いお話を心がけておられるからなのかもしれない。

その風貌は、例えば髪型はトップのみ艶やかな髪をなびかせ、サイドやバックは刈り上げている、イマドキな人である。よくよく見れば、僧衣姿も色使いが洒落ている。

仏教の伝え手も、時代の変化と共に変わっていると言うことか。

そのご住職が、義父が亡くなった時は、こんなことをお話しされた。

「人は生まれた時から、誰でも死ぬことは決まっています。生まれた瞬間から死に向かって生きています。
病死や事故死と言うのは“きっかけ”に過ぎません。人が死ぬのは、最初から決まっていたことが起こっただけで、悲しむことはないのです。」

仏教では昔から言い古された普遍的な教えではあるが、身内を失ったばかりの悲しみにくれる遺族にとっては慰めになる。

煩悩多き今を生きている人にとっても、現生の肩の荷が下りるような教えだと思う。「死」と言う終わりがあるからこそ、生きることにも耐えられると言うものだ。

秦の始皇帝は晩年、不老不死の妙薬を求めて、その臣下を日本にまで遣わせたと言うが、そこまで生に執着したのは、天下統一と言う大願を成就させたかったからなのか?

歴史上、「天下統一は成された」となっているが、地方ではその後も小さな反乱が絶えなかったようなので、年々衰弱する始皇帝には焦りがあったのかもしれない。

「不老不死」なんて発想は、人並み外れた生への執着がなければ出来ないものだと思う。

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