はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

今日は世紀の天体ショー『皆既日食』の日だった!

2009年07月22日 | 日々のよしなしごと
写真は11時20分頃の硫黄島での皆既日食
 朝からテレビを点けっ放しで世紀の天体ショーの中継を注視していた。こういう時はミーハー精神を発揮するに限る!日本での皆既日食は実に46年ぶり。もちろん私は見たことがない。前回は1963年7月2日、北海道の網走で観測されたそうだ(以下、写真は全てTVより)

 当時高校1年生だった毛利衛氏は、兄に連れられて住んでいた余市から網走まで行き、皆既日食を目撃。この経験がきっかけとなり、科学者を志したそうだ。今回の皆既日食の観測で、毛利氏に続く次代の科学者が誕生するのだろうか?

 今回の皆既日食は、3000キロ以上にも及ぶ長い皆既日食帯(皆既日食が観測できる帯状の地域)に当たった中国で、実に3億人もの人が目にしたであろうと言われている。中国は天体も味方につけたのか?(笑)世界同時不況で喘ぐ国が多い中で、いち早く回復傾向を見せる中国は、こうした巡り合わせにも、その強運と勢いを示しているかのようだ。同様に、今回はインドでも広い範囲で観測できている(写真は中国・重慶の模様)

 今回、日本では鹿児島のトカラ列島での観測が早くから話題となり、島民人口わずか68人の悪石島に150人以上の観光客が押しかける事態となった。他にも宝島、そして近隣の奄美大島でも大勢の観光客が固唾を飲んで、世紀の天体ショーを待ち望んだのである。しかし、あいにくの荒天で、特に悪石島では大雨に見舞われ、ついにダイアモンドリングを望むことは出来なかった。しかし、皆既日食に入ると天はにわかに光りを失い、朝だと言うのに暗闇に包まれた。時間にして数分間。気温も数度低下したと言う(写真はインド・バラナシ)

 90%程度の部分日食が観測可能と言われた福岡や沖縄は、晴天とは行かなかったが、流れる雲に時折邪魔をされながらも、部分日食を観測することが出来た。一方で熊本や、私が住む関東地方は、厚い雲が太陽を覆い観測はならず。同じ日本でも明暗が分かれた格好だ(写真は沖縄那覇の部分日食の最大時のもの)

 トカラ列島での観測が思うように行かなかった人々には気の毒だが、一般人が立ち入ることのできない硫黄島は晴天に恵まれ、そこでの皆既日食の模様は、気象庁によってインターネット中継がなされたらしい。私はそれをテレビで見た。それが冒頭の写真である。

 今回のトカラ列島へのツアーは過疎の進む離島ゆえのインフラ不足とアクセスの悪さで、受益者負担の原則が適用され、ツアー料金は30~40万円と高額であったと言う。それを敬遠して、10万円台でツアーが可能な中国上海を目指した日本人観光客は4000人にも及んだらしい。しかし、その上海も皆既日食が始まった当初は辛うじて雲の隙間から日食が観測できたのに、その後はどしゃぶりに見舞われてしまった。まさに悲喜こもごもの皆既日食狂想曲の様相を呈していたようだ。とは行っても、現地に赴き、皆既日食独特の暗闇と気温低下を体感したことは、貴重な経験だったのではないだろうか?これは行った人にしか分からない良さなんだろうなあ。

【追記 09.07.23】 

今朝の報道では、東京や神奈川でも11時頃に雲の切れ目から部分日食が観測できたそうだ。私はその時間にベランダへ出てみたけれど、厚い雲が遮っていた。う~ん、諦めずに暫くベランダで空を見上げていたら良かったかな?

悪天候の為に島に上陸できず、船上で皆既日食の瞬間を迎えることになった辛坊治郎氏は「皆既日食を観測できなかったけれど、皆既日食を体感できた。徐々に暗くなって行く夕暮れと違って、皆既日食に入った途端真っ暗になった。1%でも太陽の光が差さなければ、こんなに真っ暗になるんだ。」と、その感動を語っていた。

人間の力の及ばない自然現象を体感することは、普段は神仏に頓着のない人間でも、敬虔な気持ちにさせてくれるのかなあ。大いなる自然現象の前に、人間が謙虚になる。これは自分が思う以上に貴重な経験なのかもしれない。




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