はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

ポエトリー アグネスの詩(2010、韓国)

2012年02月23日 | 映画(今年公開の映画を中心に)
 今年見た中では、現時点で、最も心を動かされた作品。 

 ことアクション映画において、その優れたドラマツルギー~無駄のないストーリー展開、捻りのきいた人物描写、そして凄まじいまでの暴力描写の迫力等で、完全に邦画(←ハードボイルドに徹すれば良いモノを、途中で要らぬお涙頂戴エピソードを混ぜ込み、ドラマの流れを止める&何の捻りもない、薄っぺらい人物造形&おちゃらけで誤魔化す、中途半端なアクション←とにかくヌルイんだよoniマジ、真剣味が足りないoni邦画ファンとしては何とも腹立たしい邦画アクションの現状oni)は韓国映画に水をあけられたと思っていたが、実はそうではなかった。何たることか、ヒューマンドラマにおいても、今や韓国の後塵を拝している。悔しいが、本作を見ると、そう認めざるを得ない。

 初老の女性ミジャ。離婚後釜山で働く娘の代わりに、その1人息子を、ソウル近郊の街で1人で育てている。思春期真っ直中の孫は、祖母であるミジャとろくに言葉も交わさず、友達とつるんでばかり。彼女はそんな孫を少々もてあまし気味だ。

 古びた団地に住み、生活保護を受けながら、「会長」と呼ばれる老人の介護で生計を立てているミジャ。つましい日々の暮らしの中でも、幼き日の姉との思い出をよすがに、常に身ぎれいを心がけ、周囲からは「おしゃれなおばさん」と呼ばれている。

 明るい色合いの服を身にまとい、常に笑みを絶やさないミジャは、たおやかな雰囲気を湛えている。花が好きで、美しいものが好き。そんな彼女が病院でアルツハイマーを宣告された帰り、偶然知った文化センターの詩作教室に通い始める。「物をよく見なさい。そうすればその中に美を発見し、あなたも美しい言葉を紡いで詩を書けるようになる」と言う講師の薦めのままに、美しい言葉を求めて、自らの周囲を見つめ直すミジャ。しかし、苛酷な現実が彼女の前に立ちはだかる。孫が、アグネスという洗礼名の少女の自殺に関わったと言うのだ。

 かつて「近くて遠い国」と揶揄された韓国。近年、「韓流ブーム」と言う形で、日韓は急速にその距離を縮めている。そこで否応なく見えて来る韓国の光と影。次から次へと日本に送り込まれるK-POPグループや映画・テレビで活躍する俳優達が「光」ならば、韓国で深刻な社会問題となっていると伝えられる「性犯罪の多発」は「影」と言えるだろうか?本作でも、少女に向けられた性暴力が、韓国社会の暗部として描かれている。

 隠蔽工作に奔走する学校と加害者の親達。ミジャ以外は全員男親。我が子が起こした性暴力事件を金銭で揉み消そうと画策する男親達に対して、葬儀で被害者少女の写真を目の当たりにしたミジャは、その自殺に至るまでの足跡を辿るうちに、次第に違和感を覚えて行く。

 違う。何かが違う。本当にこんな解決の仕方で良いのか?亡くなった彼女は救われるのか?子ども達は自らの過ちを心から悔い改めることができるのか?

 しかも彼らが提示した示談金を、貧しい彼女は用意できない。結局、彼女は誰もが予想しない形で、この事件に彼女なりの決着をつけるのである。孫の将来を心から案じ、自らの良心に従って。それは、「美」が「醜」を陵駕した瞬間だった(ミジャが孫に「身なりを美しくすることは、心を美しくするのよ」と諭す場面や、彼女が辛い現実と向き合い、葛藤する中で創り上げた一篇の詩が、彼女の人としての在りようを如実に物語って、胸を打たれる)

 被害者の母親との示談交渉を画策する男親達の会話がえげつない。「背も高くないし(←こんなところにも、韓国社会の価値観が垣間見える。芸能界はとにかく長身の少女をスカウトするらしい。小柄な女性はお呼びでないのである)、美人でもないのに」やら、「彼女の方から性交渉を持ちかけた」やら…亡くなった被害者をどれだけ侮辱すれば気が済むのか。「息子達の将来の為に何としても示談を」と唱和する身勝手さ。その罪悪感のなさに、韓国社会における性犯罪の深刻さ(どれだけ日常化していて、重罪と認識されていないのか)が透けて見えるようだ。

 その一方で、詩作に興味を持ち詩作教室に通う人々、サークルを結成して、詩作と朗読を楽しむ人々の活き活きとした姿を、本作は映し出す。娘を失ってもなお、強く生きる母親の姿をも描く。韓国映画で、名も無き市井の人々の、自然体の笑顔や語り口を目にしたのは、もしかしたら本作が初めてかもしれない。はにかみながら、自らの思いを口にする人々の姿は新鮮だった。穏やかな表情が印象的だった。そこには、報道でしばしば目にする人々の、例えばサッカーの試合の応援や抗議行動での高ぶった感情を顕わにした激しさはない。平凡な日常を愛おしむ、私達と何ら変わりない韓国の人々の姿を活写している。

 本作は韓国社会に暗い影を落とす性暴力を扱いながら、その描写は一切ない。しかし、描かずして、その恥ずべき罪深さを、愚かな男親達の姿を通して、一見かよわくも土壇場で強さを見せたミジャの姿を通して、見る者に強く印象づける。それはカンヌでの受賞を果たした脚本の巧みさと、イ・チャンドン監督(『シークレット・サンシャイン』)の手腕と、清楚な美しさに秘めた女性の強かさを見事に演じきったミジャ役のユン・ジョンヒの演技力に因るところが大きいのかもしれない。

 自国の恥部を敢えて描いた制作陣の勇気に(←普段、韓国メディアの報道を見ていると、あまりにも自画自賛な論調が目立つので、本作は珍しく自省的だと思った。もちろん、当方、韓国メディアの全貌を知る立場にはないが…)、その作家魂に、改めて「映画」という媒体の存在意義と可能性を考えさせられた1本だった。


【2012/03/05追記】『詩はなぜ必要なのか』

 廃品回収に出す為に古新聞を整理していたら、2月8日(水)付日経夕刊文化面に、イ・チャンドン監督へのインタビュー記事があった。どうやら見逃していたらしい。詩人であり、作家でもある監督の言葉は鋭い洞察と深い思慮に裏打ちされ、一語一語が心に響く。作品をより深く理解する助けにもなると思ったので、ここに書き留めておこうと思う。

 記事の冒頭では、以下のように要旨をまとめている。

 「なぜ人間には「詩」が必要なのか?韓国の名匠イ・チャンドン監督は問う。決して美しくない世界で、詩人や映画監督は一銭にもならない「美」を探す。他者の痛みを、近くに感じるために。」

 以下は記事の抜粋。

 韓国で実際に起きた集団暴行事件の報に接し、心が揺さぶられた。何かを語らなければならないと思った。切り口がつかめなかったが、旅先の京都で物語が浮かんだ。

 詩とは美しさを探すこと。これを現実に起きた醜悪なものと重ね合わせることで、何かが語れるかもしれないと思った。

 孫の犯罪を知る前の祖母にとって、詩とはぜいたくなものだった。しかし、犯罪を知った後は、詩作の意味を考え始める。

 祖母は被害者の苦しみを受け入れることで、初めて詩が書ける。美を探すことと、醜い現実を受け入れることは、正反対のように見えて、実は同じことなのかもしれないと気づく。詩作を通してそれを知る。

 私自身も悩んで来た。10代から詩を書き、小説を書きながら、何の役に立つのかと。自分の書いた一文が世の中を変えられるか?無力に思えた。世界は決して美しくないのに、美しさを探すことに何の意味があるのか?その問いかけは映画の中の祖母の問いかけと同じだ。

 美しさを探す気持ちはどの人にもある。だから詩は私達を人間らしくしてくれる。しかし最近はそんな考えが軽視されている。経済的な価値ばかりが求められる。詩に経済的価値は一銭もない。でも人生の支えになっている。

 詩を書くことは、道徳や倫理を問うことでもある。我々は日々の暮らしの中で道徳性を問うことはめったにない。

 しかし、人々は常に様々な所で苦しんでいる。テレビでそれを見ても、自分は関係ないと思う。でも自分の人生とどこかでつながっているかもしれない。誰かの苦痛が自分の日常と本当に無関係なのか?

 誰かの苦しみ、誰かの人生をどれぐらい近くに感じられるか。その感じ方を映画を通して伝えたい。

 政治に携わる人の多くは文化は二の次と考えている。必要なのは橋や地下鉄で、芸術とは美しい橋や美しい地下鉄のように付随的なものだと思っている。

 彼らはまた文化はお金になると思っているが、お金にならない文化もある。お金になるならないにかかわらず、文化は必要なものだ。余裕がある時に支援するものでなく、本質的に必要なのだ。



 この記事を映画を見る前に読んでいたなら、私の感想はまた違ったものになっていたかもしれない。人間の本質はボーダーレス。鑑賞者が、いかに映画の登場人物を自分に引き寄せて考え、彼らの悩みを、人生を、より身近なものとして受け止めてくれるか…監督の意図するところは、どうもそこだったようだ。正直、自分の了見の狭さを改めて思い知らされたように思う(もちろん人それぞれ「解釈の自由」はあって当然だろうし、時を経て、見る度に、作品に対する印象も変わって行くものなのだろう)。

 日本が昨年の大震災でサプライチェーンが滞り、製造業が大打撃を受けた隙に、韓国はウォン安も手伝って家電製品や自動車等で世界シェアを大幅に伸ばしていると聞く。最新のニュースでは、これまで日本の独壇場だったリチウムイオン電池のシェアも韓国メーカーが凄まじい勢いで奪っているらしい。そのせいか、この頃の韓国メディアの論調は意気軒昂そのものだ。

 それは取りも直さず、監督が危惧する「経済至上主義」が、現在の韓国社会を席巻しているということなのだろうか。震災後、なかなか復興の兆しの見えない中で、我が日本国民も元気がなく心配だが、経済優先主義の風潮の中で翻弄される韓国の人々も大丈夫なのだろうか?特に日本では中高年層に多い自殺が、韓国では若年層に多いと言われているが、これは激烈な競争に晒された若者が、それだけ追い詰められていることを意味しているのではないか?そして追い詰められた者のストレスの捌け口は、性暴力と言う形でも顕れているとはいえないだろうか?

 また、文化についての言及も興味深い。さしずめ、韓国政府(韓国ブランド委員会)の全面的バックアップの下、日本をはじめ世界各国に攻勢をかけているポピュラー音楽などは、「お金になる文化」なのだろうか?その実態は正に「消費される商品」(←残念ながら邦画ポップスも同様の傾向nose4)であり、韓国経済の海外進出の足がかりとしての道具に過ぎない。その政府主導で仕掛けられたエセ文化が、作品そのものの質の高さが多くの人々を魅了し、数々の映画祭での受賞の結果、世界的評価を確立した韓国映画のレベルに、今後到達できるとは思えない。監督は韓国政府の文化政策のそうした商業主義的傾向を、暗に批判しているようにも見える。 

【2012/03/06追記】『韓国文学も、主題は社会から日常へ』

 また、昨年、12月13日(火)付日経夕刊文化面には、ドラマやポピュラー音楽に続いて文学でも韓流ブームが起きるのか、と言う主旨の記事もあった。

 経済発展や民主化で社会状況が変化したのに伴い、かつての「朝鮮戦争」や「民主化闘争」と言った韓国固有の重いテーマから、個人の内面や日常生活と言ったボーダーレスなテーマを扱った韓国現代文学が、米国やフランスや台湾、そして日本でも注目され始めたと、記事は伝えている。

 韓国固有の文化もさりげなく登場させながら、しかし殊更、自国の独自性に拘ることもなく、家族・愛・人生など人類普遍の関心時をテーマに書かれた韓国現代小説。ポピュラー音楽では圧倒的に韓国からの輸入超過が続いている日本だが、文学に関しては、昨年度だけでも、よしもとばななや村上春樹を筆頭に830点の日本文学が韓国で翻訳刊行されているのに対し、日本での韓国文学の翻訳刊行は2010年度、わずか14点に過ぎない。今後はドラマや音楽ブームで韓国語を学ぶ人や韓国への留学も増え、韓国文学への興味も高まるのではと期待する出版社も。幅広い読者層を得て、(韓国文学が)日本に定着するか、と記事は結んでいる。


 私がこの記事で関心を寄せたのは、やはり文学におけるテーマの変化だ。映画においても文学においても、「人々の日常が描かれていること」に、民主化や経済発展に伴う人々の心の変化~「社会体制の変革」や「経済的豊かさ」から、自分達の足下を見つめ直す、内面への関心の高まりが見て取れるようで興味深い。

【2012.03.26追記】

日経3/26日付夕刊文化面に、「イル・マーレ」で知られるイ・ヒョンスン監督についての記事があった。

何と11年ぶりの新作映画が公開中だそうである。その長いブランクの理由を「韓国では女性単独の主人公だと制作資金が集まらない。多様性のある映画が生まれにくい現状がある」と監督は述べている。「フェミニズムの為に映画を作る」と公言して来たイ・ヒョンスン監督にとっては厳しい現状か?

イ・チャンドン監督の「ポエトリー」は確か女性が主人公の映画だと思うが、やはり難産の末の誕生だったのだろうか?それともイ・チャンドン監督の実績と知名度を以てすれば、それほど難しいことではなかったのか?実績や知名度で集金力に差が出てしまうのであれば、新人はなおのこと世に出るのは難しいだろう。これは日本とて同じことではないのか?こんなところにも、文化政策の後押しの必要性を感じる。

イ・ヒョンスン監督の最新作「青い塩」は「闇組織から抜け出そうとする元ボス(ソン・ガンホ)と、暗殺者である若い女性(シン・セギョン)との信愛を描いた作品」だと言う。

舞台:水を湛えた塩田 
塩:摂取し過ぎても不足しても体に影響を及ぼすもの=生と死という物語の核心の象徴。
映像の基調となった色彩の青:監督が最も好きな色。憂鬱でありながら明るさもあり、自由でいて孤独。その二面性で、年齢も境遇も異なる男女、激しい暴力と人間同士の温かな交流などの相対する設定を強調。
若い暗殺者:今の若者の代弁者→不況で就職も難しい大変な時代を生きる彼らを励まし、癒したい。

映画を通して、どうしても伝えたいことがある。作り手にこの強いモチベーションがなければ、作品に人を惹きつける魅力は生まれないんだろうな。


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