はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

人脈作り

2012年03月09日 | はなこ的考察―良いこと探し
先日、1枚の葉書が届いた。ある美術団体の展覧会の招待状である。差し出し人はOさん。アーティストの彼女は70代の現在も、旺盛な創作意欲で活動に余念がない。

葉書には走り書きで、「早いものですね。もう1年ですね」とあった。Oさんとは昨年の東日本大震災がきっかけで、今もお付き合いが続いている。

当日、横浜美術館内にいた人々は、2度の激しい揺れに見舞われた後、美術館から有無を言わさず退出させられたものの、公共交通機関もストップして、帰るに帰れなくなった。その中にたまたま私達2人は居合わせたのだが、単独行動では心細かったので、他の数人と連れだって近くの横浜ランドマークタワーに避難し、そこで一夜を明かしたのだった。

帰宅困難者の為に開放された5階ホールで、私達は震災の詳しい状況も不明のままに、床にシートを敷いて魚寝に近い形で、不安な夜を過ごした。その間にも、深夜に再開した横浜市営地下鉄で帰る人や、車での迎えが来て帰る人が十数人ほどいたが、足のない私達はそこに留まるしかなかった。

都内にお住まいのOさんは、出身大学が偶然にも私と同じ。同窓ながら大先輩にあたるが、同窓のよしみとも言うべき心遣いで、震災の翌朝迎えに来られた息子さんの車に私も同乗させていただき、どうにか帰宅できた。

その時の御礼の気持ちも込めて、私のボランティア先の美術館の展覧会の招待状を後日お送りしたら、その後、暑中見舞い、自宅ギャラリーでのグループ展の案内状、年賀状と、何度もお便りを下さる。そのマメさに私は恐れ入った。私自身は人付き合いにそれほど積極的でない。どちらかというと、相手からの連絡を待つタイプだ。人嫌いと言うわけではないので、誘われれば快く付き合う。

しかし、そんなことではダメだと思い、自分なりにアクションを起こしたりするのだが、生来不精者なので、できた縁を繋ぎ止めることができない。例えば、何かの会合で知り合った人と、自分から言い出してメルアドを教えてもらいながら、結局メールを出さず終いのこともあるhekomi

そんな私から見たら、Oさんの人脈作りの軽やかさは驚きだ。昨秋、彼女の自宅ギャラリーでのグループ展を訪れた際も、グループ展の参加者が、夏の美大でのワークショップで知り合ったばかりの人々だったのにはビックリした。積極的に様々な催しに参加し、そこで知り合った人々と1度できた縁は切らさない。そうやって彼女の人生で築き上げた人脈は、おそらく私の想像を遥かに超えて広範囲にわたるものなのだろう。

そもそも私のような不精者でさえ、彼女の”お便り攻勢(笑)”で、いつの間にか彼女のペースに巻き込まれた形だ。まさか、震災から一年を迎えようとする今まで、一夜の縁が続くとは思いもしなかったbikkuriOさんの社交性には、私自身、学ぶべき点が多い。もう少し人との縁を大事にしなきゃね。
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