◆東京国立近代美術館『わたしいまめまいしたわ―現代美術に見る自己と他者』展
昨日は家族で竹橋にある東京国立近代美術館へ行って来た。現在、『わたしいまめまいしたわ』という軽妙な回文のタイトルがチョット気になる展覧会を開催中である。カテゴリーは現代アート。展示作品は絵画、彫刻、ポスター、版画、写真、インスタレーション、ビデオアートと盛り沢山。
近代に至るまで、美術の担い手はアーティスト本人の意識は別にしても、社会的認識は「職人」であり、アーティストはパトロンや注文主のオーダーに応じた作品作りをせざるを得なかった側面がある。例えば画家が自ら描きたいものを描き、それが絵画市場で流通するようになったのは19世紀以降ではないか?現代に至っては、アーティストは強烈なアイデンティティを誇示して初めてアーティストとして認知されるような気がする。だからこそ現代アートにおいて、自己と他者の関係性がことさら意識されるのだろうか?自己と他者は対立する関係であったり、自己を映し出す鏡であったり、自己分裂の一部であったりする。私は一連の作品群を見て、強烈な自己愛を感じたけれど…表現活動は自分の感じていること、考えていることを他者にアピールすることですからね。「私(=作品)を見て!見て!」という作り手の熱情を感じて、めまいを覚えたはなこです。
最も印象に残ったのは高嶺格(ただす)のビデオアートかな?タイトルは《God Bless America》。ちょうど私達鑑賞者の立ち位置にカメラは固定された形か?画面中央に巨大な粘土の塊があり、それを男女(カップルだったり数人?がかりだったり)がいじくりまわして、さまざまな人物像を作っては崩し、崩しては作るを繰り返す。その粘土像の背後にはベッドとソファ。照射する光が刻々と変化しているので何日間かかけて作り上げたのでしょうね。それを早回しして8分余りの作品に仕上げている。途中で男女の絡み合うシーンもあってちょっぴりエロチック。特に女性の大胆さが目を引く。見られている意識があるからこそ、なのか?BGMには作品タイトルにもなった"God Bless America"がエンドレスに流れている。中央の粘土像の変化が楽しい。歌に合わせて粘土像の口も動く。あたかもクレイアニメを見ているかのよう。
キューレーターが何やら哲学的な文言をキャプションに連ねているが、あまり深く考えずに見ても楽しい作品が並んでいる。何でもアリの現代アートの楽しさを満喫できた。
常設展示では横山操の富士二景が印象深かった。高村光太郎の《手》や上村松園作品はいつ見ても惚れ惚れする。
六本木の国立新美術館で開催中の『横山大観』展はいかんせん人が多過ぎて、絵を「鑑賞する」というより、人波の間を縫って「見物する」と言う感じだろうか?とかく企画展は気忙しく、作品とじっくり向き合う時間を持てないのが辛い。作品をじっくり味わうなら、やはり常設展に限る!
昨日は家族で竹橋にある東京国立近代美術館へ行って来た。現在、『わたしいまめまいしたわ』という軽妙な回文のタイトルがチョット気になる展覧会を開催中である。カテゴリーは現代アート。展示作品は絵画、彫刻、ポスター、版画、写真、インスタレーション、ビデオアートと盛り沢山。
近代に至るまで、美術の担い手はアーティスト本人の意識は別にしても、社会的認識は「職人」であり、アーティストはパトロンや注文主のオーダーに応じた作品作りをせざるを得なかった側面がある。例えば画家が自ら描きたいものを描き、それが絵画市場で流通するようになったのは19世紀以降ではないか?現代に至っては、アーティストは強烈なアイデンティティを誇示して初めてアーティストとして認知されるような気がする。だからこそ現代アートにおいて、自己と他者の関係性がことさら意識されるのだろうか?自己と他者は対立する関係であったり、自己を映し出す鏡であったり、自己分裂の一部であったりする。私は一連の作品群を見て、強烈な自己愛を感じたけれど…表現活動は自分の感じていること、考えていることを他者にアピールすることですからね。「私(=作品)を見て!見て!」という作り手の熱情を感じて、めまいを覚えたはなこです。
最も印象に残ったのは高嶺格(ただす)のビデオアートかな?タイトルは《God Bless America》。ちょうど私達鑑賞者の立ち位置にカメラは固定された形か?画面中央に巨大な粘土の塊があり、それを男女(カップルだったり数人?がかりだったり)がいじくりまわして、さまざまな人物像を作っては崩し、崩しては作るを繰り返す。その粘土像の背後にはベッドとソファ。照射する光が刻々と変化しているので何日間かかけて作り上げたのでしょうね。それを早回しして8分余りの作品に仕上げている。途中で男女の絡み合うシーンもあってちょっぴりエロチック。特に女性の大胆さが目を引く。見られている意識があるからこそ、なのか?BGMには作品タイトルにもなった"God Bless America"がエンドレスに流れている。中央の粘土像の変化が楽しい。歌に合わせて粘土像の口も動く。あたかもクレイアニメを見ているかのよう。
キューレーターが何やら哲学的な文言をキャプションに連ねているが、あまり深く考えずに見ても楽しい作品が並んでいる。何でもアリの現代アートの楽しさを満喫できた。
常設展示では横山操の富士二景が印象深かった。高村光太郎の《手》や上村松園作品はいつ見ても惚れ惚れする。
六本木の国立新美術館で開催中の『横山大観』展はいかんせん人が多過ぎて、絵を「鑑賞する」というより、人波の間を縫って「見物する」と言う感じだろうか?とかく企画展は気忙しく、作品とじっくり向き合う時間を持てないのが辛い。作品をじっくり味わうなら、やはり常設展に限る!