表題通り、ちょこっと美術についてのお話。
■今日、ボランティア仲間から、以下のような問い合わせのメールが。
「突然ですが映画『ハーブ&ドロシー』を見られましたか?興味があるのだけれど、なかなか行くのが億劫な為、誰かのひと押しが必要な私」
スミマセン。その映画について、私は不勉強で知りませんでした。早速ググッてみたところ、これがアート・ファンや、多くの善意で支えられている美術館の"成り立ち"に思いを馳せる人間にとっては、必見とも思える、良質なドキュメンタリーと思しき作品でした。ぴあ誌でも評判な位ですから、知らない私のアンテナ感度が鈍っているということなのでしょう。アート好きなんて、恥ずかしくてとても言えない
ハーブ&ドロシー夫妻のような、対象に寄せる純粋な愛情や、私利私欲に囚われない謙虚さは、今の世の中で影響力を行使できるであろう立場にある人々に、(全員とは言わないけれど)最も欠けている資質なんじゃないかと思う。そういう立場にない(権力や名声に程遠い、市井の人々と言う意味では、ハーブ&ドロシー夫妻に近い?)大多数の人々には、勇気を与えるご夫妻の生き方ではないかしら?
残念なことに、日本のマス・メディアではアート作品と言えば、投機的価値で語られることが多いような印象があります。元はイギリスの美術品鑑定番組を下敷きに作られたであろうテレ東の人気番組「開運なんでも鑑定団」も、いろいろ蘊蓄を披露してくれるのは有り難いのですが、鑑定対象の品々の着地点は結局、「どれだけの市場価値があるのか?」~鑑定依頼者の大半は金銭的価値にばかり関心を寄せて、作品自体に愛着を持たない人があまりにも多いのは何だか哀しいですね。作品の素晴らしさに敬意を持てない人の手元にある作品は不幸だと思います。さっさと、それを持つに相応しい人(作品を心から愛でてくれる人)の手に渡して下さい。
◆映画『ハーブ&ドロシー(原題:Herb & Dorohty)』公式サイト
■修復最前線?!
去る9月に美術館のボランティアの定例研修で、美術修復家として活躍されているM先生のお話を伺いました。
そこで目からウロコが落ちたのが、修復作業では対象が油彩画でも、水彩絵の具で修復が行われるという話。塗りやすく、落としやすいと言うことでしょうか?
さらに考えてみれば当然のことなのですが、何百年も前の作品なので、作品の創作当時の作品の色は誰も知る由がない。つまり、完全な再現は不可能ということです。もちろん、修復家は作品が書かれた当時の文献や描画技術の指南書に当たる等して、当時の色に出来る限り近づける努力はしますが、現実問題として現代に生きる私達は、創作された時代にタイムトラベルでもしない限り、創作当時の色を誰も見ることができないのです。
と言うことは、今、私達が目にしている作品は、画家の想像もしなかった色に変化している可能性が大きいのです。
では、描き手である画家は自身の作品について、何百年も残すことを意識して、例えば使用する絵の具選びに注意を払っていたのかと言うと、中にはそういう画家もいたらしいとのこと。
そもそも修復作業自体、時代によりその意味づけが違い、それにより修復の手法もさまざまなので、絶対的なものではない。現代の修復は極端な言い方をすれば「できるだけ、何も手を加えない」のがベストのようです。これ以上、劣化させない、現状維持を旨とする、と言うことでしょうか?
ところで、映画「真珠の首飾りの少女」では、スカーレット・ヨハンソン演じるメイドの少女が、コリン・ファース演じるフェルメールの絵の具作りの手伝いをしているシーンがありました。しかし、先生のお話によれば、お金を取って弟子入りさせていた(←画家の貴重な収入源)時代に、メイドに絵の具作りをさせることはあり得ないとのこと。実在の人物を描く映画の場合、実話の中にフィクション(創作)のエピソードが巧みに散りばめられていることに留意しなければと、今更のように思いました。
◆当ブログ内関連記事:「美術館の役割~保存・修復」
■今日、ボランティア仲間から、以下のような問い合わせのメールが。
「突然ですが映画『ハーブ&ドロシー』を見られましたか?興味があるのだけれど、なかなか行くのが億劫な為、誰かのひと押しが必要な私」
スミマセン。その映画について、私は不勉強で知りませんでした。早速ググッてみたところ、これがアート・ファンや、多くの善意で支えられている美術館の"成り立ち"に思いを馳せる人間にとっては、必見とも思える、良質なドキュメンタリーと思しき作品でした。ぴあ誌でも評判な位ですから、知らない私のアンテナ感度が鈍っているということなのでしょう。アート好きなんて、恥ずかしくてとても言えない
ハーブ&ドロシー夫妻のような、対象に寄せる純粋な愛情や、私利私欲に囚われない謙虚さは、今の世の中で影響力を行使できるであろう立場にある人々に、(全員とは言わないけれど)最も欠けている資質なんじゃないかと思う。そういう立場にない(権力や名声に程遠い、市井の人々と言う意味では、ハーブ&ドロシー夫妻に近い?)大多数の人々には、勇気を与えるご夫妻の生き方ではないかしら?
残念なことに、日本のマス・メディアではアート作品と言えば、投機的価値で語られることが多いような印象があります。元はイギリスの美術品鑑定番組を下敷きに作られたであろうテレ東の人気番組「開運なんでも鑑定団」も、いろいろ蘊蓄を披露してくれるのは有り難いのですが、鑑定対象の品々の着地点は結局、「どれだけの市場価値があるのか?」~鑑定依頼者の大半は金銭的価値にばかり関心を寄せて、作品自体に愛着を持たない人があまりにも多いのは何だか哀しいですね。作品の素晴らしさに敬意を持てない人の手元にある作品は不幸だと思います。さっさと、それを持つに相応しい人(作品を心から愛でてくれる人)の手に渡して下さい。
◆映画『ハーブ&ドロシー(原題:Herb & Dorohty)』公式サイト
■修復最前線?!
去る9月に美術館のボランティアの定例研修で、美術修復家として活躍されているM先生のお話を伺いました。
そこで目からウロコが落ちたのが、修復作業では対象が油彩画でも、水彩絵の具で修復が行われるという話。塗りやすく、落としやすいと言うことでしょうか?
さらに考えてみれば当然のことなのですが、何百年も前の作品なので、作品の創作当時の作品の色は誰も知る由がない。つまり、完全な再現は不可能ということです。もちろん、修復家は作品が書かれた当時の文献や描画技術の指南書に当たる等して、当時の色に出来る限り近づける努力はしますが、現実問題として現代に生きる私達は、創作された時代にタイムトラベルでもしない限り、創作当時の色を誰も見ることができないのです。
と言うことは、今、私達が目にしている作品は、画家の想像もしなかった色に変化している可能性が大きいのです。
では、描き手である画家は自身の作品について、何百年も残すことを意識して、例えば使用する絵の具選びに注意を払っていたのかと言うと、中にはそういう画家もいたらしいとのこと。
そもそも修復作業自体、時代によりその意味づけが違い、それにより修復の手法もさまざまなので、絶対的なものではない。現代の修復は極端な言い方をすれば「できるだけ、何も手を加えない」のがベストのようです。これ以上、劣化させない、現状維持を旨とする、と言うことでしょうか?
ところで、映画「真珠の首飾りの少女」では、スカーレット・ヨハンソン演じるメイドの少女が、コリン・ファース演じるフェルメールの絵の具作りの手伝いをしているシーンがありました。しかし、先生のお話によれば、お金を取って弟子入りさせていた(←画家の貴重な収入源)時代に、メイドに絵の具作りをさせることはあり得ないとのこと。実在の人物を描く映画の場合、実話の中にフィクション(創作)のエピソードが巧みに散りばめられていることに留意しなければと、今更のように思いました。
◆当ブログ内関連記事:「美術館の役割~保存・修復」