はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

『佐賀のがばいばあちゃん』番外編

2006年09月03日 | 家族のことつれづれ


息子が2歳を過ぎた辺りから、本の読み聞かせを始めた。
それから5年は続いたと思う。
絵本を手始めに、日本昔話、世界の童話、
児童小説と読み進めて言ったけど、
それは息子に本の好きな子供になって欲しかったから。
私自身は両親がそれぞれ仕事を持っていて忙しく、
放ったらかし状態で読み聞かせなんてしてもらった
記憶はないのだけど、何となく本が好きで、
しかも気に入った本は繰り返し読む子だった。
小1の頃なんて新美南吉の『ごんぎつね』が大好きでねえ。
ごんが誤って撃たれてしまうシーンで、
何度も大泣きしたのを覚えています。
しかし、私の思いも努力も虚しく、息子は読書嫌い。
というより読書障害?なのかもしれない。
特に物語に没頭できないらしいのです。
ひとつには登場人物の心情を慮ることが苦手だからか。

最近日経夕刊のコラムで俳優の児玉清も、
どこかのテレビ番組でコメンテーターも、
近年の読書離れによる、若者や大人の、想像力や人の気持ちを
慮る能力の低下を危ぶんでいた(ここで言う「読書」とは、
小説を読むこと。逆に小中学生は『ハリーポッター』人気や
朝の読書運動が奏功して、本好きな子が増えているらしい)

そういった能力の低下が、突拍子もない事件や
想像もつかないような凶悪事件を引き起こす
要因のひとつになっているのではないかと。
こんなことをしたら、人がどう思うのか?結果どうなるか?
想像できずに短絡的に犯行に及び、
後になって事の重大さに気付く。
最悪なことには最後まで気付かない者までいる。

幼い頃から物語や小説を読んで人間の心理を学ばないから、
情緒的な欠陥が生じるのか?
元々情緒的な欠陥があるがゆえに作品世界に没頭できず、
作品から人間心理を学べないのか?
後者の場合、生来のものなのか?或いは…
人間としての出発点で何らかのつまづきがあったのか?
つまづきがあったのだとすれば、それは人生で最初の
濃密な人間関係である親子関係
においてか?

結局、息子の問題は、親である自分に還元される。
息子の読書嫌い(と言うよりやっぱり読書障害?)は
自分の育て方に問題があったからなのか?と悩み、
責任を感じてしまう。

息子の学校の夏休みの宿題のひとつに読書記録がある。
うだうだしていたら、1冊も読み終わらないうちに
来週から新学期という時期になった。
夫が薦めた『蒼穹の昴』は息子には難しすぎたのか、
今ひとつ作品世界に入り込めずページが進まなかったようだ。
仕方ないので、『佐賀のがばいばあちゃん』を私が薦めた。
それはどうにかさっき読み終えて、彼なりに感銘を受けたのか、
白目を赤くしていた。
「これって、本当にあった話なんだね。すごいなあ」
「何がすごいの?」
「おばあちゃんの優しさと賢さ」

とにかく彼が本を1冊読み通したこと、
本の内容に幾らかでも心動かされたことに、ホッとした。

少しずつで良いから、今回の『佐賀のがばいばあちゃん』
のような心動かされる本と出会い、
読書する喜び、活字を手がかりに想像の翼を広げる楽しさを、
息子が経験できたらなと、心から思う。
そう…かつての私がそうであったように。
そして、それは今も続いているから。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ユナイテッド93 | トップ | ふと思ったこと~本当に「昔... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。