はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

日本が他の追随を許さないもの…

2014年09月25日 | 海外旅行(旅の記録と話題)
 日本が他の追随を許さないもの。それは何と言ってもkirakira2トイレの快適さkirakira2でしょうか!

 羽田空港に到着し、日本に帰って来たのだと最も実感させられたのが、他ならぬトイレでした。その清潔感たるや、それまでの旅の緊張を解きほぐすのに十分過ぎるほどでした。

 海外旅行で個人的に最も困る、と言うか閉口するのが、このトイレです。清潔で先進的な機能のついた日本のトイレと比べるのがそもそもの間違いなのかもしれませんが、小額とは言え有料にも関わらず、他国のトイレは総じて汚い。たまに日本並みに清掃が行き届いていると、「おー、なかなかキレイだね」と感心するくらいです。先進国でさえ、そうなのです。とにかく、海外の旅ではトイレに纏わるトホホ経験は数知れず。カルチャーショックを最も受けるのがトイレ体験、と言っても過言ではありません。

 今回、きれい好きのイメージが強いドイツも訪れたのですが、場所によっては酷い所がありました。日本は公衆トイレ、しかも観光地とは言え、山深いところのトイレさえ、清掃が行き届いていてキレイなところが殆どです(稀に大勢の人間が集まったイベントでは、清掃が追いつかないケースもありますが…本当に稀)

 ドイツのベルリンでのことです。ベルリン市内には東西冷戦の名残であるベルリンの壁が一部保存されていて、誰でも見る事ができます。近くに展望塔も設置されていて、そこから見下ろすこともできるようになっています。

 下の写真は、その展望台から見たベルリンの壁。手前と奥と、二段構えになっています。左端に監視塔が見えます。どうにかすれば越えられそうな高さの壁、一晩のうちに建ったと言う急ごしらえの壁が、30年近く(1961-1989)、東西ドイツを分断していたんですね。



 その展望塔に付設したカフェの有料トイレを夫婦で利用したのですが、女子トイレは個室が2つしかなく結構並んだものの、回転が良いのか、それほど時間はかかりませんでした。しかし、夫がなかなか男子トイレから出て来ない。あまりにも遅いので、何か事件に巻き込まれでもしたのではないかと心配になるほどでした。夫は歩くのは速いのですが、それ以外の動作は至ってマイペースで、ノンビリしています。トイレも私の方が待たされることが多い。それにしても、遅すぎます。たまたま近くに添乗員さんがいたので、夫がまだトイレにいるのか確認してもらったところ、奥の個室から夫の声が聞こえました。

 展望塔からの見学時間はトイレ休憩も含めてのことなので、夫が遅くなればなるほど、見学時間が減ってしまいます。見学前にトイレに行くと決めたのが失敗だったのか…、とにかく待っている私はイライラが募りました。やっと出て来た夫には愚痴のひとつもこぼしたくなりますが、亭主関白な夫は謝るどころか、私に「文句ばっかり」と逆ギレの始末。そんな最悪の状況で、既に見学を終えて、トイレも済ませ、地上の台座でのんびりしている他のツアーメンバーをよそに、ふたりで展望塔の階段を息せき切って上りました。とにかくベルリンの壁を写真に納め、息を整える間もなく、すぐさま階下へ。

 迎えのバスに向かう途中、夫が聞こえるか聞こえないかの小声でぽつりとつぶやきました。「えっ?」と思わず聞き返す私。「トイレが、とんでもなく汚くて、便座を拭くのに時間がかかったんだ」日本でも外出先のトイレで小便器を使わない夫は、海外でも個室を使用するようなのですが、そのトイレはとにかく汚かったらしい。具体的にどう汚かったかまでは聞きませんでしたが、かなり参ったようです。やっとのことで出て来たら、今度は私から愚痴られ、思わず不機嫌になったと言うのが、ことの顛末だったようです。

 特に団体旅行ではトイレの待ち行列がつきものだし、時間が限られているので焦ります。トルコでは地方に行けば行くほど故障で使えないトイレの率が高く、しかも殆どが清潔とは言い難く、閉口しました。

 韓国旅行では、朝食で利用した慶州のレストランのトイレが浄化槽の問題で紙が流せないらしく、それならそれでマメに掃除をすれば良いものを、個室の隅に使用済みの紙が堆く積み上げられ、その周りに蠅がたかっていたのにギョッとして、結局使うのをやめた程でした。2人から催行する高価格のツアーにも関わらず、そんな貧相なトイレしか備えていないレストランを利用するのが、正直信じがたかった。厨房の衛生観念も推して知るべしで、もう食事を終えた後でしたが、心配になりました。しかも慶州では、他のトイレも同様でした。首都のソウルは一見、東京に引けを取らない大都会ですが、韓国の京都と言われ、観光地としても名高いはずの古都、慶州で、数年前の時点でこのありさまです。その国の本当の意味での経済的な豊かさは、地方に行ってこそ分かるのだなと感じた出来事でした。

 団体旅行と比べ、個人旅行では時間的にゆとりがあるのと、美術館・博物館をメインに主だった観光地を巡るので、トイレで苦労することは殆どないのですが、昨年訪ねたパリのルーブル美術館のトイレには驚きました。まず、元々建物自体が宮殿(12世紀末に建てられたルーブル宮殿が始まり)なので、現在のような利用方法を想定していなかったとは言え、世界に名だたる大美術館なのに、圧倒的にトイレの数が少ない。

 特にいかにも後付けらしい展示室の中央に据えられたトイレが小さく(展示室内に、あるだけマシでしょうか…)、しかも清掃が行き届いていない。私が利用したトイレには確か個室が3室ありましたが、使えたのは1室のみで、他は紙詰まりを起こしていました。唯一使える個室にはトイレットパーパーがなく、床もなぜか水浸しになっている始末。一緒に並んでいた他の人も、その惨状に溜息をついていました。さらに変な(怪しい?)おじさんが、入り込もうとするおまけつき。もちろん件のおじさん、その場にいた女性全員に即座に「出て行け」と怒られていましたが…

 有料トイレは、入口に管理人のおばさんが立っていて、その場でお金を徴収したり、入口にバリケード付の機械が据えられていることもあります。後者は機械に利用料を投入しないと、入場できない仕組みです。しかし機械が特定のコインしか受け付けないことも多く、たまたまコインの持ち合わせがない時には、近くの売店で何かを買ってお札を崩したり、両替して貰ったりと、ことほど左様に、たかがトイレに入るのに、日本では考えられないほど面倒なプロセスを経なければならないことが多い。トイレの使用頻度が比較的高い日本人には、これは憂鬱のタネとも言えるでしょう。たまに利用者の善意を信じてか、入口に受け皿だけ置いてあるケースもありますが、本当に稀です。どうも店舗にしてもレストランにしても、トイレは本体の管轄外と言う意識が働いているように思えてなりません。かつては高貴な人物も自室でおまるを利用していたことから推察するに、早くから厠、便所と個室を設けていた日本とは異なった概念を、欧州はトイレに対して持っているのでしょうか?

 今年に入って、あるベテラン添乗員が書いたエッセイを読んで初めて知ったのですが、それによれば、団体ツアーの添乗で、ツアー客に対するトイレへの配慮が必要なのは、日本人を含めたアジア人独特のものなんだそうです。白人等の欧米人はアジア人よりも膀胱のサイズが大きく、アジア人ほど頻繁にトイレに行く必要がないらしい。そんな彼らから見れば、アジア人が頻繁にトイレに行くのが不思議と言うか滑稽に映るらしく、英語には「中国人の膀胱」と言う (←つまり、膀胱が小さいから中国人はトイレが近い、と揶揄した)表現もあるのだそう。

 また、米国人も?日本人も大好きな花の都パリでさえ、19世紀半ばに当時のセーヌ県知事ジョルジュ・オスマンによって大改造計画が敢行されるまで十分な下水道施設もなく、汚物は通り沿いの窓から遺棄され、街は汚物にまみれていたのです。ペストやコレラなどの疫病が度々流行したのも、その衛生観念のなさが原因のひとつでした(映画『パフューム』に、その当時の街の様子が見事に再現されています)

 一方、同時代の江戸では既に汚物の回収&リサイクルの仕組みが確立され、来訪した外国人が驚く程、清潔な街並みであったと言われています。つまり、江戸時代から排泄物の処理に関して日本は先進的で、街全体が常にある程度清潔な状態に保たれていたのです。さらに「瑞穂の国」と謳われたように、日本が水資源に恵まれたことも、世界に先駆けて街や身体を清潔に保つ観念を育てたのかもしれません。日本では住宅建築においても、比較的早くからトイレと風呂場は明確に分けられています。そう言った歴史的・文化的背景もあって、公衆衛生に関する意識が日本と他国とでは大きな違いがあり、ウォッシュレットのような究極のトイレ装置の発明も生まれたのかもしれません。

 トイレひとつを取ってみても、彼我の違いが感じられて、興味深いものです。


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