はなこのアンテナ@無知の知

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ネット社会の言論の自由を脅かすもの

2016年03月26日 | 気になったニュース
 最近、ネットニュースのコメント欄を覗いてみると、怖い。ネット民による、寄って集っての個人攻撃が凄いのだ。

 しかもターゲットにされたら最後、次の新たなターゲットが見つかるまで、攻撃は止まない。

 攻撃のターゲットになる人物は著名人、有名人が殆どだが、名声や富と引き換えに支払わなければならない有名税(例えば、顔が知られている分、何かと言動が注目され、行動が制限されるとか…)の中でも、このネット民による個人攻撃の凄まじさは恐しいまでだ。

 攻撃のターゲットとなった人物から、自分が直接不利益を被ったわけでもないのに、自分自身も完全無欠と言うわけでもなかろうに、執拗にターゲットの非を責めたてる。周りの雰囲気に煽られて、書き込みの内容もより過激に、また無節操になる。

 傍目には、ネットが、人間のあらゆるネガティブな感情の増幅装置の役割を果たしているかのように見える。

 有名人とて感情を持った一人の人間なのに、制御の効かない集団の悪感情は、人をどこまで追い詰めるつもりなのだろう? 

 その一方で、つい最近、MS社のツィッター向け?のAIが、利用者から悪意のある情報を吹き込まれて人種差別的発言を繰り返すようになり、急遽運用停止になったのは記憶に新しい。それは人間が作った"モノ"だから制御できた。

 以前の記事の繰り返しになるが、ネットの住人は時として集団で悪意を増幅させ暴走する。その暴走を速やかに止めることができるスーパーバイザーは存在しない

 それだけに私達ひとりひとりの自制心が求められるのだが、これが最も難しいことなのだ。

 「自己制御する」と言う在り方が、人間を人間足らしめているはずなのに、その自己制御が効かないと言うことは、ネット(仮想)社会の匿名性が、同調圧力の強い(本音を言い難い)日本の(現実)社会で抑圧された人間の自我を、歪んだ形で解放していると言うことなのだろうか?

 しかし、これがあまりにも度を越して問題視されるようになれば、現実の社会で法制化と言う形で言論統制に至る危険性を孕んでいる。寧ろ、為政者はそうなることを手ぐすね引いて待っている可能性も否定できない。個人攻撃に参加しているネット民はそこまで考えていないのかもしれないが、ネット社会も現実社会と確実にリンクしているのだ。

 暴走するネット民よ。自分で自分の首を絞めてどうする?oni
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