はなこのアンテナ@無知の知

たびたび映画、ときどき美術館、たまに旅行の私的記録

私家版携帯出世魚物語

2005年12月07日 | はなこのMEMO

今日の青空。ほんの3分前までは雲ひとつなかったのに・・・・

私は新しいもの、流行りものには慎重な性質(タチ)で、
かなり遅れて手を付けることが多い。
流行に絡め取られるのがイヤというか、
大勢(たいせい)に押し流されるのに抵抗したいというか。
要するにあまのじゃくなんだろう。



携帯電話(以下、携帯)に関してもそうだ。
街中の雑踏に立って携帯で声高にしゃべっている人、
歩きながら携帯でしゃべっている人、
電車内で一心不乱にメールの打ち込みをしている人を
私は内心軽蔑していた。
あぁ、この人達は携帯に支配されている。
まるで携帯の奴隷だと。
つい数ヶ月前までは、携帯カメラでパシャパシャ
撮っている人の姿も、端から見て滑稽というか
みっともないと思っていた。

ははは・・・全部過去形だ。
つまり、私もとうとう、その軽蔑される、
みっともない人の仲間入りを果たしてしまったのだ。
特につい最近まで強く抵抗していたカメラ付携帯、
使ってみたら、その便利さにハマッてしまった。

振り返ってみると、子供が進学塾に通い出した頃、
だからかれこれ5年前になるだろうか?
その頃にはもうすでに携帯は
市民権を得ていたように思う。
私は私で大学に行っていたし、で、家族3人
PHSを持つことにした。アステルというブランドだ。
その当時は飯島直子がCMキャラクターを務めていた。
まだPHSが携帯に準じた扱いを受けていた頃だ。

携帯市場はドコモの独壇場で、まだ料金は割高だった。
それが携帯他社の再編や頑張りで、競争原理が働いて、
徐々に料金体系の改訂、多種多様なサービス競争が
展開されるようになり、機種の性能も格段に向上。
その結果、携帯市場全体のパイが大きくなり、
逆にPHSは電話機の性能もサービス面でも携帯に大きく
水を開けられてしまった。
現状維持が精一杯、ややもするとじり貧のPHSは、
会社自体も精気を失い、携帯会社並みのサービスを
展開するのはおろか、営業所の廃止・統合など、
どんどんサービスが低下して行った。

我が家はついにPHSを見限り、携帯に乗り換えた。
と言っても低料金に拘り、シンプルな機能のTU-KAだ。
契約は2年。その間にも携帯の進化は続く。
TU-KAも発展著しい携帯業界でのシェア争いでは
苦しい闘いを強いられていた。
シンプル機能に拘るあまり、扱う機種の機能は
他社からどんどん遅れを取った。
契約満了に近い頃には、TU-KAの携帯が
陳腐なものに思えて来た。

そして契約満了を待って(違約金を取られるのは
絶対イヤだから)、今度はauに乗り換えたのだ。
勢いのある会社はさすがに違う。
高機能の携帯が数社から毎月のように出る。
TU-KAでは考えられない高機能の機種が
家電量販店で1円で売られていたりする。

我が家はそれぞれの好みで、違う機種を選んだ。
夫はラジオ付き、息子はカメラと着うた機能付き、
そして私は100万画素のカメラ付き携帯だ。
すべて1円だ。TU-KAなら、それ以下の機能しかない
携帯が機種変更でも1万円以上する。
これでは会社を変えたくもなる。
特に来年以降(?)は他社に変更する際も
現在使用の電話番号はそのまま使えるようになるから、
益々、客の移動は激しくなるのではないか?

我が家が会社変更をしてしばらくして後に、
KDDIグループ傘下に組み入れられていたTU-KAが
同じ傘下のauの完全子会社になった。
TU-KAはauの一ブンランドとなったのだ。
そして今や3強の携帯電話業界に、
さきごろ新規参入も認められた。
まさに携帯戦国時代の到来だ。

次から次へと新機種が投入され、
さまざまなサービスが開発・提供されるが、
たぶん、我が家はのんびりマイペースで行くだろう。
人より一歩も二歩も遅れての携帯生活だが、
おそらく今後も、何か新しいものを
自分の生活、人生に組み込む時は、
今までのようなスタンスで行くと思う。
それが、自分達にはちょうど良いのだ。
(このダイアリーもしかり)
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